モヤモヤしてるまま書いてるからまとまってねー、デス。 野々村氏に関する消費のされ方に違和感を感じている。 「笑うな」という話ではない。笑うこと自体は個人的には全然構わないんだけれど、 笑うために「キャラ化」→「素材化」みたいな手続きが行われるな、と感じるんです。 (キャラ化とかフリー素材化とはなにか、についてはこのあたり斎藤環いわくうんぬんとかの話があるのだけどめんどくさいのでカット) 野々村氏がちゃんとこの世に実在する人間だって知ってた? 要するに、野々村氏が一人の実在する人間であるという認識そのものが失われてるんじゃないかなと。もう「リケジョ」みたいなカテゴリーでくくったりするのがとか、「男女」で区切ってはなしするのがどうとかフェミがどうとか。そういうレベルじゃない。ココらへんの話はまだ「人間」について語っている。でも、野々村氏の消化のされかたってもう最初から「人間」扱いじゃないと思っ