石田三成を中心とする西軍と徳川家康率いる東軍がぶつかった関ヶ原の戦い。西軍の小早川秀秋の寝返りが勝負を決めたと言われているが、石田家と小早川家の両家に遺恨はないのか。現当主に「本当に伝えたい関ヶ原の真実」を聞いた。 直系の石田、養子の小早川、対照的な系譜 ――関ヶ原では、歴史を分けるような確執があった両家。日本史ファンにとっては実に興味深い対談です。石田さんは三成から数えて15代目ですね。 【石田】関ヶ原合戦の後、三成の嫡男・重家は助命されて仏門へ。3代目の直重は、結城秀康(家康の次男)との縁もあって越前松平家の分家、越後高田松平家の家臣となります。しかし三成の血筋の者をかこっているということで、直重に関する史料はすべて抹消されてしまった。家臣たちの忖度なのでしょう。そのへんが、子孫としてはつらい部分かもしれません。 ――そのころからずっと石田姓ですか。 【石田】そうです。それはいいことで
トルコ政府は、中国の新疆ウイグル自治区で、ウイグル族に対する人権侵害がひどくなっているとして中国政府を厳しく批判し、ウイグル族を拘束している収容所の閉鎖を求めました。 声明は、中国の新疆ウイグル自治区で、この2年、ウイグル族への人権侵害がひどくなっていると指摘し、要因として、中国による同化政策をあげました。そして100万人以上のウイグル族の人々が恣意的に逮捕され、収容所などで、拷問を受けたり、考え方を変えさせられたりしていると指摘しました。 そのうえで、ウイグル族に対する組織的な同化政策は「人類にとって大きな恥だ」と厳しく批判し、中国政府に対し、人権の尊重と収容所の閉鎖を求めました。 トルコにとってウイグル族は民族的に近く、イスラム教徒でもあることから親近感があり、ウイグル族の亡命も受け入れています。一方で、経済的なつながりから中国との関係も重視し、近年はこれほど厳しい批判はしてきませんで
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