asahi.com 3月26日 「「気仙沼水産業の担い手」外国人研修生、津波で離散」 大津波は水産業の現場を支えてきた外国からの研修生や実習生の人生も、一変させた。津波に漁船や工場がのみ込まれ、働く場をなくした人たちは涙ながらに帰国した。漁船で沖に出たまま、行方が分からない人たちもいる。 (……) 会社の大島忠俊社長は、避難所を回り研修生を捜した。現金の手持ちがなく、働いてきた分の給料の支払いを約束した「保証書」を持たせて研修生を送り出した。「3K(危険、きつい、汚い)で、働き手の少ない職場を支えてくれる貴重な子たちだった。無事に送り返せてよかった」 (……) 同県塩釜市の沖では、大分県漁協保戸島支店所属のマグロはえ縄漁船第3くに丸(小山国友船長)のインドネシア人船員4人の行方が分からないままだ。震災の日、次の漁に備えて拠点の塩釜港に停泊していた。だが、大津波の被害を避けようと、沖に出たと