タグ

ブックマーク / umeten.hatenablog.com (6)

  • 日本的なるものとしての「嫌オウム流」 - umeten's blog

    finalventの日記より重要なポイントなので引用 finalvent 『marcel_proustさん、ども。とりあえず、先日ちと書いたのと、この先をどう言うかはとても難しいですね。ちょっとだけいうと、オウムの残党的組織を言論・思想によって解体できない市民社会側の思想が弱すぎるのだろうと思うのですよ。 いわゆる仏教とかフェミニズムとかの言説が思想として死んでいるということでもあるし、その死の意味それ自体が彼ら*1と我々の軋轢であって、佐々木さんがいうような前提たる異者とのコミュニケーション・ギャップではないんですよ。 異者と我々の問題が佐々木さんはよく考え詰められていませんというか、彼のポジションが安全すぎて痛みがない。』 (2006/05/23 13:49) 民族問題ですら、もはや単純ではありえないのに、 単純な民族問題であるかのように「嫌オウム流」を煽るしか能のない日仏教・マスコ

    日本的なるものとしての「嫌オウム流」 - umeten's blog
  • 反『嫌韓流』話の追記はみなさまのブックマークで - umeten's blog

    十分かな、と。以下、抜粋。 terracao :納得。ただし、納得してしまうこと自体に寂しさもかんじる。 takahanomori :『ネタに対抗できるのは、ネタに対して対抗するのなら、ベタではなく、メタの地点に立たねばならない。』まあでもやっぱりとりあえず。 tomozo3 :根的な問題として、文字は読めるが文章は読めない人の存在があるしな。 zaikabou :ま、いちおう、出すことには意味有るだろうな。韓国の人が書いたデタラメな反論にもなっていない反論だけじゃあんまりだし。 kmizusawa :そもそも真面目に読むのは最初から「嫌韓」に批判的な人だけで「嫌韓」の人は叩くためのネタとしてしか読まないような気がする t-kawase 確かにこのを読んで「再転向」が起こるとは考えにくいけど、「でもやるんだよ」。 ポイントをまとめると、 1、そもそも『嫌韓流』と『「マンガ嫌韓流」のこ

    反『嫌韓流』話の追記はみなさまのブックマークで - umeten's blog
  • ぼくがかんがえたはてなブックマーク - umeten's blog

    ブックマーク数がイラストで表示される。 ブックマーク数でのジャンルごとの並び替えができる。 ブックマーク数に応じて表示タイトルのフォントが大きくなったり色が変わったりする。 ブックマークされると自動でポイントが送られる。 ブックマークされると一々メールが届く。 ブックマークするとなんか音が鳴る。 ブックマークするとなんかアニメーションが表示される。 ブックマーク数の多いものをブックマークするとすごい音とアニメーションが表示される。 ブックマーク時の音とアニメーションはジャンルごとに細分化されて作成される。 当然のことながらエロ方面が最も恐竜的進化を遂げる。 エロエントリの爆発的増加と自作自演が横行する混沌の時代が訪れる。 その結果はてなブックマーク排斥運動がPTA主導で行われる。 はてなの出版部として松文館が買収される。 ブックマークしようとすると「当にブックマークしますか?」と二度三度

    ぼくがかんがえたはてなブックマーク - umeten's blog
  • 中田英寿の「下流」意識 - umeten's blog

    スポニチ Sponichi Annex ニュース サッカー - 中田「国の名前で戦う時代終わった」 またMF中田(ボルトン)も自身の公式サイトで「特に最近思うのは、国の名前で戦うような時代は過ぎ去った、ということ。戦い方によっては総合力で劣っていても勝つ可能性があるというのが現代のサッカー」と心境を明かした。98年から海外でプレーを続ける実績があれば強豪が相手でも恐れることはない。 対オーストラリアでは01年コンフェデ杯準決勝で決勝点を決め、今年のコンフェデ杯ではブラジルとドロー。それを胸の内にしまい「より自分たちの色を出し、試合を楽しんだ国こそが、この大会を勝ち進んでいける。それが日となるように…」とジーコジャパンで積み重ねてきたサッカーで勝利を求める。 この発言をもって、また中田英を「サヨク」認定している馬鹿2ちゃんねらーがウヨウヨいるわけですが、そのあまりの単純なオメデタさには羨ま

    中田英寿の「下流」意識 - umeten's blog
  • こころ世代のテンノーゲーム - 誤読としての批判への批判〜都合のいいときばかり「子ども」を持ち出す大人〜

    都合のいいときばかり子どもに憧れる大人たち それこそ、「そういう話じゃないだろう、と思う。」だ。 ここで槍玉に挙げられているのはLife is beautiful: 大人になると誰も間違いを指摘してくれなくなるという記事だが、さて、いったいこの記事の要点はどこにあったのだろうか。 肝心なのは、そもそも文章における要点というものは、文章量の多寡とはまったく関係が無いということである。いかに膨大な量の文章量があろうと、その中に込められたメッセージ――要点が、たった一言であるということはよくあることだ。 モヒカン族というのも、「お前は間違っている」というただ一言を、いかに婉曲的に表現するかというものだとも言える。 それを踏まえるならば、悪役(ヒール)を担わされた記事の要点が、長々と示された「ワイン通の間違いついてのエピソード」で無いことは明らかである。 もちろん、テクストは「開かれている」。 ひ

    こころ世代のテンノーゲーム - 誤読としての批判への批判〜都合のいいときばかり「子ども」を持ち出す大人〜
  • 非モテの正気、モテの狂気〜天馬唯さんへの回答4〜 - umeten's blog

    うん。気持ちは分かるんですけどね? そもそもオタクが選択した行為に暗黙のうちに潜む哲学論理からいうと、その当然の帰結として「ファッションからの撤退」というものが導かれるわけなのですよ。 であるならば、 「すでに第三の道を獲得することで快楽を得たというのに、なぜいまさら首をたれて軍門に下り快楽を求めなければならないのか?」という疑問しか生まないのですよ。 「脱・オタルック」圧力というものに対しては。 もちろん、それが「好意」でなされているものであることは分かりますよ? でも、はたして「好意」でなされたことがすべて善なるものであるかといえば、必ずしもそうではないということもご存知でしょう。 天馬さんのようなイケメンが言うような「脱オタ」というのは、悲しいかなそういったものなのです。 それに、どうにも天満さんは外見的なことばかりを強調されているのですが、これはまさにセクシャリティの問題として立ち

    非モテの正気、モテの狂気〜天馬唯さんへの回答4〜 - umeten's blog
  • 1