社畜にすらなれない。そんな絶望に打ちのめされながら今日を生きている。 僕の絶望の外界では、最近、社畜という生き方に対して随分と否定的だ。だが「奴は会社に飼いならされているよ。ごらん、課長と書かれた首輪をされ惚けた顔をしてまるで家畜だ。僕は、皆を巻き込みたいからインターネッ党にならって主語を僕らと大きくさせてもらうけど、僕らはそういう生き方を選ばない。定時。年休。残業代。もらうものはもらわないと。権利なのだから。叶わないならこちらから会社を捨ててしまおう。僕らは家畜じゃない人間なのだから。ウィキャンフライ!」と社畜的なるものを否定するのは超一流大を余裕で卒業するような、各種能力及び精力のある人の言い分、つまり強者の論理ではないのか。 社畜的な生き方を否定出来る人は、各能力のパラメータが高い、与えられた場所でなくてもどこでも咲ける、一旗あげられる偉人なのだ。アムロが操縦するガンダムなのである。
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