ブックマーク / diary.lylyco.com (14)

  • 運と才能に恵まれて初めて「孤独」は許される|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    実のところ、他者というのは酷く面倒な存在だ。 できれば他人なんかとは関わらずに生きていきたい。もちろん不可能である。けれども、極力関わりを減らして生きることはできる。ただし、そのためには自身の市場価値を相当に高める必要がある。少なくとも今の時代に先進国で生きるためにはそれが不可欠だ。なにしろ、衣もも住も市場の中にしかない。人と極力関わらないということはつまり「極力自分の市場価値だけで市場から衣住を獲得する」ということだからだ。これは恐ろしく難易度が高い。至高というべきは「ただ生きているだけで市場価値がある」という状態だろう。そんなのは天皇くらいしか思い付かない。 だから、普通の人は他者との関わりの中で市場価値を補い合う。その典型が会社みたいな市場価値を生み出すための組織だろう。組織内での価値の大小はあれ、どんなに偉い重役でもその人個人の市場価値は大したものではない。別の組織の重役として

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    Sofan 2009/07/23
    孤独に慣れることはコミュニケーションとイコールではない。コミュニケーション能力がある人が孤独に「なってしまった」時はかなり辛いと思うのだが。
  • ダメな人間を分析しても無駄なたったひとつの理由|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    ・【第6話】ダメな人間の10パターン:日経ビジネスオンライン それは、決して「瑕のない人間が成功する」わけではないからだ。 人の振り見て我が振り直せという言葉がある。これは自戒の言葉であって成功への道を説いた言葉ではない。そんなことは小学生でも知っている。それをまるで成功への秘訣でも隠されているかのように人の欠点を論うなどいい大人のやることではない。失敗の法則は失敗の法則でしかない。裏返してみたところで成功の法則にはならない。そして、残念ながら成功の法則はない。あらゆる成功譚は、成功者だけが振り返ることのできる一回性の物語でしかない。まず、再現性はない。成功以前の松下幸之助がいま転生したとしても、再び成功者となる可能性は他の誰とも変わらない。 向上心溢れるビジネスパーソン諸氏がリンク先の記事を読んで、自らを鼓舞する暗示を覚え、じっくり取り組む姿勢を手に入れ、外に出て行く勇気と気力を持ち、交

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    Sofan 2009/05/30
    「失敗しない」と「成功する」の間には大きな隔たりがある、というお話
  • 他人を冷静に嫌うことの意味とその効用|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    まず、他者というのは基的にストレスフルな存在である。 もっといえば、自分自身も含めて「思い通りにならない物事」のすべてがストレスたり得る。生きること即ちストレスとの闘いなのである。中でも最も避け難く大量に存在し、思い通りにならない存在。その代表が他人だろう。あの人はあそこが厭だ。その人のそこが気に入らない。他人とある程度以上の関わりを持てば必ずそんな不満が出てくる。しかも、他人が齎すストレスは十人十色の上、玉虫色である。どんなに優れた経験則をもってしても避けられるものではない。避ける方法は唯一、断絶しかない。つまり、この世からの退場である。もちろんこれは最後の手段だろう。 人を嫌うにもいくつかのレイヤーがある。その内もっとも酷いものは、ほとんど差別に近い。それは「ある性質をもって他人を類型化し、その全体を嫌う」というレイヤーである。具体的には、朝鮮人を嫌ったり、同性愛者を嫌ったり、大人を

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    Sofan 2009/05/30
    でも、こう考えるよりは十把一絡げに対象をくくってレッテル貼りまくるほうが楽で、人間は往々にしてそれにそっちに乗ってしまいがちではある
  • 1文1,000字改行なしで最後まで読ませる馬鹿エントリー|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    断っておくけれど、この文章を最後まで読んだところで何か素敵なライフハックで目から鱗が落ちたり、斬新で効率的な仕事術が身についたり、自己啓発されてやる気が泉の如く湧き出たりすることはまずないし、そもそも特段の業績も持たないような一介のウェブデザイナーにすぎないぼくがそんな気の利いたエントリーをものせるはずもないのだから、こればかりは期待する方がどうかしているわけだけれども、かといってぼくとて一片の意味もない文章をわざわざ一千字も書くほど暇ではないのだし、書く以上は何らかの主張や愉しみを織り込むつもりだったことはいうまでもなく、当然、この文章にこそ相応しい内容を念頭に書き始めたわけだけれど、いい加減前振りが長すぎてこのままの調子で書いていては論に入る前に紙幅が尽きかねないので、些か唐突ながら稿のテーマを掲げると、それは「読み易い文章とはいかにあるべきか」というぼくにとっては積年の懸案事項で

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    Sofan 2009/05/30
    学生の頃、似たような事を小論文でやって呼び出されたなあ
  • 紙の本を捨ててもいいと思える3つの条件|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    当然、紙のは100%亡くなる。いつかは。そして、人類だっていつかは滅ぶだろう。 ・紙のが100%亡くなると断言できる、たった一つの理由 - 今週の天牌 もちろん、リンク先の人はそんな話をしているのではないだろう。技術革新によって旧来メディアが駆逐されるというのは、ありそうな話だ。けれども、こと「紙」に関してはまだまだだと思わざるを得ない。それは「ページをパラパラとめくる楽しみや印刷された紙の味わい」というような問題では、たぶん、ない。もっと実利的な意味で、今のデジタルメディアは紙の利便性に遠く及ばない。ただし、技術革新によって紙に代わるデジタルメディアが将来に亘って出てこないといい切ることも、また、できない。SF的になりすぎない程度に、それはどんなものか、と想像してみる。 ----- 01:とりあえず300dpi以上の解像度 何よりもまずこれである。せいぜい100dpi前後しかない現状

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    Sofan 2009/05/27
    データの保存性、という点で本の中身をデータに置き換える、なんてことは自分には恐ろしくてできない
  • バカと暇人が愉しめるウェブだから凡庸なぼくは世界を語る|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    凡人で暇人のぼくが愉しむためにネットはある。 暇潰しにそんな自分語りを書こうとして、そういえば少し前にバカだ暇人だとウェブを腐して釣り堀にエサを投げ込むようなを見かけたことを思い出し屋に行ってみるとやっぱりあった。ウェブはバカと暇人のもの。素晴らしい。事実ウェブがバカと暇人のためになっているならこんなに素晴らしいことはない。大抵の人は「頭がいい」と確信できるほど賢くはないだろうし、死ぬまで暇を潰すか自死する以外に道がない程度には暇人である。なるほど、ウェブはみんなのものだ。そこまで考えて、を手に取る前にもう読んだ気になったぼくはまったく別のを買って店を出た。 ぼくという人間がどれほど凡庸かといえば、人を殺したいとも自殺しようとも思ったことがなく人を犯したいとも人に犯されたいとも思ったことがない程度に茫洋として凡庸である。全裸で出勤したことさえない。そんな凡庸な人間が書いた辺境のブロ

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    Sofan 2009/05/27
    <ぼくという人間がどれほど凡庸かといえば、(中略)全裸で出勤したことさえない。>/マイカー出勤以外では見果てぬ夢に終わってしまうのではないだろうか>全裸出勤
  • 腐萌えは自ら捨てることも維持することもできない|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    結婚を控えた隠れ腐女子の葛藤あるいは奮闘 自分の好みというのは、およそ自分で生み出したものではない。 米を好んでべるのは米を好きになる環境を与えられたからだし、BLに目がないのはそれにハマる環境を与えられたからである。自分で思うほど人は「自発的に」何かを好きになるわけではない。誰もが例外なく偶然に左右されて生きている。だから、今の生活環境から生み出された「好み」はライフスタイルの変化でいかようにも変わり得る。そして、どう変わるかを選んだり予測したりすることはまずできない。腐女子になる以前の自分は将来腐女子になることを選んだり予測したりなどできなかったはずである。BLにハマり得る環境が腐女子への道を用意しただけのことである。 ただ、環境はある程度選べる。何かのきっかけでアメリカ人が好きだと気付いてしまった人はアメリカ移住する。その程度の積極的な変化なら自分でコントロールすることができる

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    Sofan 2009/05/27
    趣味・嗜好の類はある一線を越えると業になるんではないか、と凄惨な破壊と死を撒き散らす戦争にまつわる事物になぜか興味を抱くようになってしまった自分は考える
  • 愚痴を聞くときに思い出すべき5つの心構え|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    気が付くと愚痴を聞くことに失敗している、というのはよくある話である。 愚痴を聞くのが好きだという人は、たぶん少ない。他人の負の感情に触れることは、大抵の人にとってストレスである。一方的に突き付けられた負のコミュニケーションを、適宜プラスに転換できる人なんてそうはいない。よくいわれることだけれど、そもそも愚痴というのはその内容に関してコミュニケートすることを求めてこぼされるわけではない。つまり、会話ではない。愚痴の内容はまったくそのコミュニケーションの質ではないのである。だから、「内容を聞いてしまう」と大抵失敗する。そこで、愚痴を聞きながら内容を聞かないための心構えをぼくなりに考えてみる。 ----- 01:まず愚痴を愚痴と見分ける ここで躓くケースは思いのほか多いんじゃないかと思う。相手が「仕事相談をしている」と思い込んだり、「人間関係の悩みを話している」と勘違いしたり、「日常の問題に

    Sofan
    Sofan 2009/05/27
    わかってはいても「結局お前はどうしたいのよ」と言ってしまう自分はあんまり愚痴を聞くのに向いてないのかも/個人的な経験上、「そうなんですかぁ~」という返しは割と有効
  • デキる男の肖像 - 男、10の質問に答えて曰く|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    10の質問?オーケー、答えてみるよ。 ・【第6話】ダメな人間の10パターン:日経ビジネスオンライン ああ、自分はデキるってのはいつも思ってるね。まあ、自己暗示的なとこもあるけど、できないできないなんて思ってたんじゃ人生つまんないじゃない。三日坊主?ないね。いったんやり始めたら腰据えちゃうタイプだから。見ての通りっていうかさ。諦めたらそこで試合終了って、なんか有名な先生もいってたよね。ホント、その通りだと思うよ。人と知り合うのは、まあ、それ自体仕事みたいなもんだよね。社外の人ってのはアレだけど、自分のフィールドに閉じこもるとかは有り得ないな。こうやってどこにだってどんどん出てかないと、掴めるチャンスも掴めないだろうし。 友だちはかなり多い方かな、たぶん。こんなことやってると特に思うよね。友だちっていいよなぁってさ。なかなかうまくいかなくて落ち込んでるときなんか頑張れって励ましてくれたり、もち

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    Sofan 2009/05/27
    最後の一行で無性に応援したくなった
  • こんな時代に人生設計などすべきではない|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    身も蓋もないことをいえば、どうせ当には人生を設計なんてできない。 ・帰宅した。目がさえて眠れん。愚痴らせてくれ。 この匿名氏の見込みが甘かったとは、ぼくは思わない。年間約200万の25年ローン。博打だとは思う。が、年収630万時点でならさほど分の悪い賭けでもない。これで人生設計が甘いというなら、ローンを組んでいるすべての人が甘い。なにしろ、将来を約束されている人なんてひとりもいないのである。明日文無しにならないとも限らない。尋常にえてきた人間には、収入が増えないというだけでも十分に悲観的な展望だろう。大幅な減収や離職の可能性まで織り込んだ人生設計を立てる人間なんて普通はいない。「いつでも独りで死ねる準備をしておけ」ということにしかならない。 今、最悪の事態を想定して人生を設計することにどれほどの意味があるだろう。それこそ、ストリートでも生きられる強さを身に付けるくらいしか有効な設計図が

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    Sofan 2009/05/13
    人生設計に限らず計画とは、リスクを引き受けて腹くくる事も大事だけれど、引き返す勇気も併せ持たないと、行くぞズンドコインパール、になるのではないかと思う。/自分の人生の指揮官は自分以外にいないからなあ
  • 下手な文章というのはあるが、上手い文章というのはない|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    一般的な意味で上手い文章というのは、たぶん、ない。 ・俺なりの「文章うまくなる方法」 - G.A.W. ・「いいなぁ」という文章に近づくために必要なこと - GoTheDistance あるのはただ誰かや何かに合った文章である。似たようなことを少し前にも書いたなと思ったら、偉そうに文章術のようなものを書いていた。若気の至りである。先月のぼくはあまりに若かった。後悔は、それほどしていない。文章を公に晒すというのは、そういうことだと思っている。それはまあいい。上手い文章の話である。タイトルにも書いたけれど、下手な文章というのはあると思う。誤字脱字が酷いとか、誤謬に塗れているとか、人以外には何が書いてあるのか解らないとか、そういったものである。要するに、文章の体をなしていない。それは下手といっていいと思う。 文章として特段の瑕疵がない。言葉遣いは正しく文意も通っている。そういう文章なら、言葉を

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    Sofan 2009/04/29
    誉めるべきは文章そのものではなくその文章を紡ぎ出した、ないしは出させたものということか
  • 実際のところ「裸になって何が悪い」のか?|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    公然わいせつといえば刑法第174条である。たぶん。 ・【SMAP草なぎ逮捕】1人で全裸、「裸になって何が悪い」 - MSN産経ニュース 公然とわいせつな行為をした者は、6ヶ月以下の懲役若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する。まあ、「悪い」というのも程度問題ではある。一応、ジャンケンで缶ジュース代を賭けるのだって「悪い」ということになっている。その意味でいうと、公然わいせつというのはそれほど悪くないように思う。「6ヶ月以下の懲役若しくは30万円以下の罰金」で検索してみると、たとえば、車の不正改造と同程度の悪さである。少なくとも法的には。もし「SMAP草なぎ、車の不正改造で逮捕」だったら、印象はかなり違ったろうと思う。社会的ダメージと罪は比例しない。 罪の軽重はひとまずおくとして、そもそも「裸になって何が悪い」のか、という問いに答えるのは難しい。今の時代のこの日だから、という

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    Sofan 2009/04/24
    公衆の面前で素っ裸になる事を罪に問うのは、むしろ対ハラスメント的な意味合いがあると思う。特に現代では。
  • 狭義の「リア充」幻想から自由になるために|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    ぼくは「リア充」を、幸福な、目指すべきものだとは少しも考えていない。 ・ある種のネト充やオタクたちは決して「リア充」にはなれない それはぼくが「リア充」という言葉をかなり限定的に捉えているせいでもある。たとえば、ぼく自身はネットはリアルだと思っている。が、「リア充」という言葉が想定するリアルは、たぶんネットを含まない。同様に、バイト先の同僚への好意はリアルでも、二次元少女へのそれは違うのだろうし、仕事で認められて自己実現することはリアルでも、ニコニコ動画でちやほやされることはリアルではないのだろう。要するに、ネットジャンキーたちが(自虐的な意味で)妬みの対象とするような「コミュ力を前提とした恋愛仕事の充実」が「リア充」の質だとぼくは思っている。 もちろん、こうしたメジャーな「幸福観」に染まれる人は染まればいい。実際に「リア充」に憧れて脱オタし、合コン恋愛セックス三昧の幸せな日々を送れる

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    Sofan 2009/04/17
    どんだけ「充実」してる奴を羨ましかろうと人生の充足感はどっかの誰かに貰うもんじゃ無いよね、という話
  • ある種のネト充やオタクたちは決して「リア充」にはなれない|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    「リア充」という言葉、案外、廃れない。 どころか、じわじわとネト充圏外へと侵攻し始めている気配すらある。それだけインターネットが一般的になったということだろう。それにしても、リアルで充実とはややこしい概念だと思う。何しろ現実を真摯に見つめれば見つめるほど、大抵、充実からは遠ざかってしまう。現実とは来、身も蓋もないものだ。だから、充実の多くは夢や幻想や妄想に担保される。コンパやサークルの虚構性など今さらいうまでもない。そこにある人間関係も性関係も、所詮は個々人が抱く幻想同士の部分的な重なりにすぎない。解り合うことはおろか、認め合うことすらほとんどできはしない。 金持ちになることにも、異性にモテることにも、長生きすることにも、教祖になることにもさしたる意味はない。すべては等しく無意味である。一方で、巨乳を見れば揉みしだきたい衝動に駆られ、木陰で放尿する幼女の姿に興奮する。満たされぬ欲望はどこ

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    Sofan 2009/04/16
    本当の意味での「充実」とは不可能であり、「充実」してるように見えたり思ってる人達も本当の意味で「充実」しているかは非常に怪しい、という実に中島義道的な不幸論ならぬ「不充論」と読んだ。
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