先回のブログで、私は、民衆は「もっとパンを、もっと見世物を」と叫び、皇帝はこれに応えることによって民衆の支持を得ようとした「帝政ローマの末期症状」に喩えて、現在の民主党政権の危うさを憂いました。 実は、ローマが世界を支配するそのはるか昔、「直接民主主義」が機能していた古代ギリシャの都市国家アテネでも、同じような危惧を持った人がいました。それは「衆愚政治を必然的にもたらす民主主義」に代わる「哲人政治」を提唱したプラトンです。 プラトンの師であったソクラテスは、「物事の善悪は、その時々の状況によって判断されるべきものである」とするソフィスト〔法律家〕達に反対し、「物事の善悪は、客観的、普遍的、絶対的な基準で判断されるべきである」という「イデア論」を展開しますが、結局ソフィスト達の策謀によって死に至らしめられます。 このことを深く心に刻んだプラトンは、移り気で強欲な「普通の人間」が政治を動かして