わたし的棚ぼた一万円選書 急に千葉さんに手渡された封筒、開けてみたら1万円札が1枚。何ごとかと思えば、同期の出張を代わったお礼をもらったらしい。 「葵はワンオペで育児してくれたから」と半分わけてくれました。 泡銭の1万円 これはもう、わたし的1万円選書をしろという思し召しなのでは……
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わたし的棚ぼた一万円選書 急に千葉さんに手渡された封筒、開けてみたら1万円札が1枚。何ごとかと思えば、同期の出張を代わったお礼をもらったらしい。 「葵はワンオペで育児してくれたから」と半分わけてくれました。 泡銭の1万円 これはもう、わたし的1万円選書をしろという思し召しなのでは……
つくづく、男などいらないと思う。この世界には可愛い女の子たちがこんなにたくさんいるわけであるし、彼女たちは彼女たちだけでキャッキャウフフと楽しそうである。それで十分じゃないか。 第一、女の子たちの間に、男が入るとろくなことが起こらない。惚れた腫れたでドロドロの少女漫画みたいな展開ばかりになってしまい、ろくなことが起こらない。そしてそういう時の男は大抵まぬけな顔をしている。必死なのは女の子たちばかりで、男は何も考えていやしない。 僕は黙って女の子たちがイチャイチャしているのをずっと見ていたいのだ。それだけで幸せになれる。頭の中に幸せを感じるホルモンがいっぱい吹き出して楽しくなるのだ。女の子がイチャラブしているものを百合と名指すのであれば、百合は至高である。美しい、素晴らしい、ハッピーハッピー。 *単体アプリではなく、「紀伊國屋書店BookWeb」などで購入できる電子書籍です。 しかし、ここで
/) ///) /,.=゙''"/ / i f ,.r='"-‐'つ____ さぁきたよきたよー / / _,.-‐'~/⌒ ⌒\ 2013年公開! / ,i ,二ニ⊃( ●). (●)\ ちゃんと予告でながれたぞおおおおおお / ノ il゙フ::::::⌒(__人__)⌒::::: \ ,イ「ト、 ,!,!| |r┬-| | / iトヾヽ_/ィ"\ `ー'´ / / ̄ ̄\ / ノ \ \ 予告で気になったのはやっぱ制服杏子ちゃんだな | (●)(●) | つか杏子ちゃん、マミさん、さやかちゃん、ほむほむ、仁美ファンは新作に期待してよさそうだわ . | u (__人__) | てかやばいぞ予告・・・wktkが止まらなくなったね | ` ⌒´ ノ . | } . ヽ
キール @kir_imperial 昨日のコレ http://t.co/qQYZPRbh の続きみたいになっちゃうが、@amamako さんがブログで「反論提示して、議論しましょうよ」って言ってるから、ちょっとやってみるか。 2012-10-10 18:57:01 キール @kir_imperial まず @amamako さんは、「まどマギはガキに勧めたい映画じゃない、まどマギは間違ったメッセージを発している」って事をたぶん言ってる訳だが、確かにガキんちょに好き好んで見せる作品じゃないってのは、そうなんだが「間違ったメッセージ」云々ってのに、私は異論があるのよね。 2012-10-10 19:01:09 キール @kir_imperial 彼が「間違ったメッセージ」としてる論拠の一つとして、さやかちゃんの戦いが醜く、悲惨な結末にってる。つまり「自分の為に戦ったから」あーなってってのをあげ
このアニメは、高校生になっても中学2年生レベルの空想に取りつかれた少女と、それを脱却したと思い込んでいる少年と、その他の美少女との愛と青春のハーレムバイオレンスコメディである。 バイオレンスというのは、特に人が死んだりするとか犯罪が描かれているというわけではない。むしろ、事件事故の起こらない普通の滋賀県の高校1年生の1学期が描かれている。ただし、ヒロインの小鳥遊六花は電波女と青春男のエリオのように、独自の空想世界で世界を見ている邪王真眼の持ち主(と、本人は思いこんでいるが、単なる小柄な少女)である。 そんないたいけな内田真礼演じる美少女に対して、Episode II 旋律の…聖調理人(プリーステス)においてもEpisode I 邂逅の…邪王真眼から引き続いて富樫勇太(福山潤=ルルーシュ=邪気眼)は頭をぐりぐりしたり、暴言を吐いたり、意図的に無視したり、酷いのである。相手が小柄な少女だからと
福部里志、てめえだけは絶対に許さん! 福部里志は腹を切って死ぬべきだ。また、彼はただ死んで終わるものではない。省エネをモットーとする高校生・折木奉太郎にグーで殴られる者だ。理由は摩耶花を泣かせるなら自分が死ぬべきだからだ。詳しい理由は米澤穂信作『遠まわりする雛』等で熟知すべし。*1 いや、ホントにもう、「ぐうの音も出ないほどの畜生」とは、まさにこういう事を言うんだろう。そもそもまず、中学3年時のバレンタインデーで、摩耶花からのチョコを受け取らないという時点で、すでに畜生の域に達している。そして、その1年後には、摩耶花から貰う前にチョコをこっそり盗み出し、あまつさえ大きすぎて巾着袋に入りきらないそれをボロボロに砕いてまで隠そうとする。そこまで徹底して摩耶花からチョコを受け取ることを拒絶する理由は、次のようなものだった。 まず、里志は以前まで、世の中の色々なものにこだわる生活をしていたという。
たとえ、魔女が生まれなくなった世界でも、それで人の世に呪いが消え失せるわけではない。世界の歪みは形を変えて、今も闇の底から人々を狙っている。次から次へと湧いてくる。幾ら倒してもキリがない。悲しみと憎しみばかりを繰り返す、救いようのない世界だけど……だとしてもここはかつてあの子が守ろうとした場所なのだ。それを、覚えてる――決して、忘れたりしない。だから私は――戦い続ける! いつもどこかで、誰かが君のために戦っている。「彼女」のことを忘れなければ、君は決して独りじゃない――「がんばって」! http://togetter.com/li/387111 上記まとめについて、個人的な意見を書きます。 まずまどかが魔法少女概念を簒奪しているという指摘について。 この指摘には違和感があります。むしろこの作品自体は魔法少女の概念を限定した上で、それ「だけ」を守った作品だと思ってます。 もう少しいうと、「Q
2012年10月14日02:30 カテゴリ書評/画評/品評 削りようのない物語 - 作品評 - 劇場版 魔法少女まどか☆マギカ(前後編) というわけで初日というか厳密には00:30上映開始という、魔女に出会えそうな回に前編見て来たので。 404 Blog Not Found:奇跡も、魔法も、あるんだよ - 作品評 - 魔法少女まどか☆マギカ 以下、「視た」という前提で話を進める。ネタばれを避けたい人は[続きを読む]を押さないように。もっとも本作は遠からず古典となり、「好き嫌いはとにかくあらすじなら一応皆が知っている」ことを前提にできるようになるのだろうけど そういう作品なので、未見の方は絶好の機会。すでに古典化は決定事項なので。 [2012.10.14 後編を追加] 前編 初日特典らしいものをもらった。行列も人ごみも苦手な私はこの手のものはすっぱり諦めるたちなのでなおのことうれしいな、って
内容 劇場版『魔法少女まどか☆マギカ』よりNoritake(ノリタケ)コラボマグカップの登場です! 劇場版『魔法少女まどか☆マギカの公開を記念して、なんと世界のNoritake(ノリタケ)との夢のコラボが実現しました! 金色の5人のソウルジェムをあしらった上品な仕上がりになっています。これはもうアニメグッズの域を超えています! 右斜め45度を目指すまどかファンの方は是非! サイズ&素材 素材:NORITAKE FINE PORCELAIN (WHITE) MUGCUP 使用 (白色硬質磁器) サイズ:幅 約8.2cm x 高 約8.5cm (持ち手除く) http://www.neowing.co.jp/goods/goods_detail.html?KEY=NEOGDS-74677 ノ _.ノ ./ ̄ ̄\ ( .( _ノ ヽ、 \ )ノ (○)
映画『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [前編]始まりの物語』 まずはTV版の『まどマギ』について。 私は本放送をリアルタイムで見た。最終回以外はゲタゲタ笑って楽しんだ。ゲタゲタ笑って楽しむ、という以上のものではないし、以下でもない。ためつすがめつして眺め回したり、唖然としたり、「あれがああだったら、これがこうだったら」と益体もない妄想にふけったり、といった楽しみを引き出せる作品ではない(最終回以外は)。ただ、ゲタゲタ笑えることは間違いない。 ゲタゲタ笑えるとは、どういうことか。一発ネタ、というのに近い。さらに言い換えれば、「お前それは無理すぎるだろ!」と突っ込んだら負け、というのに近い。「お前それは無理すぎるだろ!」と思っても突っ込むのは野暮、「どんだけ無理だよ!」とゲタゲタ笑って続きを楽しむ、というスタンスを視聴者に求める作品が『まどマギ』である。 『まどマギ』における無理は、もっとも端
「『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ』を見て泣いた子供がいた」というツイートにまつわる話 - Togetter まどマギの社会的責任についての問題提起 - Togetter 時間があまりないので取り急ぎ 僕の立ち位置 まどマギは「間違ったメッセージ」を正当化するものであり、僕はこのような物語を認める訳にはいかない(特に最終回) まどマギにかぎらず、作品に対する評価は、個人的なものから出発しながらも、議論を通じて、公共的なものへ向かう意思を持たなければならない 年齢制限を設けることやレーティング規制をおくことには反対。 宣伝における十分な説明は努力規定としてされるべきだが、それも強制はできない また、親も、もし子どもが「まどマギを見たい!」と言うのなら、それを止めるべきではない しかし親が、別に見たいとも言っていない子どもにわざわざまどマギを見せるべきではない ただし、親が本当にまどマギを素晴
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