福富太郎さんと親しくさせていただくようになったきっかけは、永井荷風と和倉温泉の加賀屋との縁からだった、と思う。 誰に誘われたのか、池袋の『キャバレー・ハリウッド』で、毎年荷風の忌日である四月三十日『つゆのあとさき忌』が催されるので、という事でお伺いしたのだった。 三田の文学部にとって、永井荷風は格別な存在で―なにしろ、文学部の初代教授なのだから―当然、仏文科の教授から学生までが、荷風を崇拝しているのである。 福富さんは、荷風はキャバレーの恩人だ、と仰った。荷風はキャバレーの原型であるカフェに頻繁に通い、『つゆのあとさき』でその風俗を活写したから。 そうして加賀屋の話になった。 毎年、荷風の忌日に、見事なノドグロが加賀屋からハリウッドに送られてくる、というのだ。 それは、関根歌さんの絡みではありませんか、と福富さんに申し上げた。 関根歌は、女出入りの激しい荷風の生涯において、もっとも荷風が愛