ブックマーク / nextsociety.blog102.fc2.com (20)

  • 富野由悠季とは何者なのか

    はじめに 富野由悠季はアニメ演出家・監督、原作者・作詞家・小説家である。 国産TVアニメの幕開けの「鉄腕アトム」(1963年)からアニメ制作に携わり 「ガンダム Gのレコンギスタ(Gレコ)」(2014年)までに今に至る。 現在はGレコの劇場版を準備中。 老舗虫プロからサンライズに至る、 日テレビアニメの歴史の一つの流れを形成。 作家の福井晴敏は富野を「ガンダムを創った方」と評する。 富野由悠季が何者かと言われれば、 ガンダムの原作者というのが一番通りが良いのではないか。 でもそれだけでまとめるのは、惜しいと思う。 富野演出とは~映像の繋がりを意識した演出 富野由悠季監督作品の演出とは何か。 ベースはエイゼンシュテインのモンタージュ理論。 カットの組み合わせによって最大限の映像効果を求める演出である。 富野の著書「映像の原則」ではこの理論をベースに映像演出法を書いている。 では富野作品か

    富野由悠季とは何者なのか
  • 究極のアニメ「けものフレンズ」は何故語られるのか?-3つの謎

    現時点で(2017年2月10日)において、 「けものフレンズ」は大きく3つの謎によって 大きく語られるようになっていったと思う。 世界の謎 まず「けものフレンズ」といえば世界の謎だ。 2話で初登場のED映像の荒廃した遊園地・施設等から ジャパリパークの世界は一体?かばんちゃんは何者? という謎を呼び起こしいわゆる「けものフレンズ考察班」を生み出していった。 3話・4話では旅先で出会う、トキやツチノコが断片的に 世界に関わる事を断片的に語る。 この断片的な情報の開示が、語りを呼び起こすことになった。 作品の面白さの謎 次に面白さの謎。なぜ「けものフレンズ」が面白いのかという謎だ。 なぜ面白いのか。色々語っている人はいる。 私も自分なりに面白い要因を記事で書いていたりするが、 決定的にコレだ!といえる言及はできていなかったと思う。 一つ面白さの謎を紐解くヒントとして庵野秀明監督が セーラームー

    究極のアニメ「けものフレンズ」は何故語られるのか?-3つの謎
  • 「Gのレコンギスタ」の総括【劇場版を終えて】

    劇場版5部作を終えた「ガンダム Gのレコンギスタ」の総括を述べたい。 「Gレコ」は富野由悠季の研究論文 「Gのレコンギスタ(以下Gレコ)」は、富野由悠季のによる「宇宙エレベーターやフォトンバッテリー等を通して現代の社会経済と科学技術に対して異議申し立てをする研究論文」である。 Gレコの企画が具体化する2000年代後半。富野監督は取材やインタビューを通し、「ハンナ・アーレントの『全体主義』の考えをアニメで表現したい」と語る。この試みに期待を高めていた。 2015年の講演会では参考資料として池内了「科学・技術と現代社会」とE・H.カー「危機の二十年」を紹介。2016年の講演会ではガンダムエースの対談企画「教えてください。富野です。」での対談。特に宇宙エレベーター実験の参加と青木義男教授達との出会いが大きかったと語る。以上の経緯を踏まえると、Gレコは富野監督の出会い・取材・経験を通したインプット

    「Gのレコンギスタ」の総括【劇場版を終えて】
  • 「聲の形」感想-監督:山田尚子語録にみるヴィヴィッドな感性

    はじめに 劇場アニメ「聲の形」を鑑賞。 京都アニメーション制作、山田尚子監督作品。 今までは京アニ制作の劇場アニメは、TVアニメ化されて劇場アニメとなっていたが、 作は最初から劇場アニメとして制作されている。 全2269カット、芝居・背景・色彩の細部まで行き届いた仕上がりであり、 毎度のことながら京アニの制作力の高さに舌を巻くばかりだ。 特に作は、聴覚障害を持つ西宮硝子の設定上、 手話でのやり取りが作品の特徴になっている。 手から指の細やかな動き、手の様々な形を見せる、 手の芝居とともにキャラの表情芝居にもリンクさせて見せるなど アニメーションでは難度が高そうであろう手話を ここまで徹底して作画したことにも頭が下がる。 花は手であり、キャラクターである さて、そんな手話シーンについて 監督の山田尚子さんは 「手は花であり、一つのキャラクターである」 (出典:映画 聲の形 公式パンフレッ

    「聲の形」感想-監督:山田尚子語録にみるヴィヴィッドな感性
  • キャラの名前から考える「聲の形」

    はじめに 「聲の形」について。 漫画原作は2014年に完結しているので既に指摘されていることばかりだと思うが、 キャラの名前と作の関係性について、まとめてみたい。 ① 聲 声=作のテーマを表す文字 音の声には留まらない。 音読みで「ショウ」とも読むが、 この場合石田将也の「ショウ」、西宮硝子の「ショウ」の読みと符合する。 聲の文字の左上部分の「声」は 石板をぶらさげてたたき音を出す楽器、殸(けい)の象形。 作と照らし合わせると、 石版から石田将也に繋げられる。 下半分の耳は、耳が聞こえない西宮硝子にそのまま当てはめられる。 聲という文字自体から、石田翔也と西宮硝子を接続しているようにも見える。 ② 石田 将也 石田将也の「将」は「将軍」という文字もあるように、 作の集団のリーダー(的)を示しているようにも思える。 音読みでは「まさ」と読み、「これから…しようとする。」という意味があ

    キャラの名前から考える「聲の形」
  • 喪失と結びから観る「君の名は。」

    大ヒット映画新海誠監督「君の名は」。 作では幾度と「結び」というキーワードが語られる。 そして新海作品に通じる「喪失」の物語であった。 今回はこの「結び」「喪失」から「君の名は」を考えてみたい。 「結び」のモチーフ性 まず空の上で二つに別れた 彗星の軌道(動線)こそ、 瀧と三葉の二人の「結び」の最たる象徴だった。 ※上の画像が象徴的。 また瀧と三葉でやり取りされた携帯端末のやり取り ※LINE-線-糸 糸守という「糸」の名前。 三葉が瀧に飛騨から東京へ迎う間で生まれる動線、 瀧と三葉が互いを探しに、糸守のご神体ですれ違う動線 ※動線を糸に見立てる 物語最後で、瀧と三葉が互いに乗る電車ですれ違うのも、 電車を糸として見立てれば、全て「結び」の一種だと思う。 幾度も幾度も、携帯端末、二人の動線、電車、といった「結び」を通して 瀧と三葉が、組糸のように繋がっていく物語であった。 瀧の腕に付け

    喪失と結びから観る「君の名は。」
  • なぜZガンダムのティターンズは負けたのか?

    1 組織が一枚岩ではなかった 一番大きな理由。 総司令官のジャミトフは建前(ジオン残党狩り)と音(人口の削減)が違いすぎて 彼の思想信条は極めて理解されていなかった。 そんなジャミトフの真意を知らずに、組織No2のバスクは毒ガスやコロニー落としを敢行。 バスクの独断に対しジャミトフは、シロッコを重用する事で、バスクの抑えにかかる。 シロッコはジャミトフの真意を知っていたようだが、野心高きシロッコは 「女性による統治」のための傍観者であるように振舞う。 組織の中心人物達の目的・理念が全く共有されていない点で、 組織だった行動が取れずに、内部崩壊するのは必然だった。 中心人物達以外も、エマのようにエゥーゴに投降する者もいれば ヤザンに騙し討ちされたジャマイカンのようなものもいる。 上もバラバラであれば、下もバラバラ傾向にあった。 2 地球上の拠点・キリマンジャロ・ニューギニアの喪失 両拠点を

    なぜZガンダムのティターンズは負けたのか?
  • なぜみんな「シン・ゴジラ」を語りたくなるのか?9つのポイント

    なぜ、シン・ゴジラは語りたくなってしまうのか。 1 面白いから ⇒面白い部分を言いたくなる 2 期待を上回ったから ⇒12年ぶりのゴジラ新作、エヴァの庵野監督と樋口監督の二人の存在。 3 現実をシミュレーションした内容だから ⇒現実と比較して語りたくなる(政府の対応等々) 4 政治の問題や、核や原発の問題を扱っているから ⇒今後の社会経済を生きていくときに考えていきたい問題だから 5 他作品の引用が目立つために、引用元と比較したくなり、語る素地を与えてくれる ⇒引用元に思い入れがあるから語りたいのでは 5.5 (5の続きで)エヴァっぽく、庵野監督度が高く感じられるから ⇒エヴァを作ったスタッフのゴジラはどうなのかという視点で語りたくなる 6 ディテールに拘っているから ⇒戦車や兵器描写、政府のシステムについて語りたくなる 7 見る人によっては欠点が目立ち、指摘したくなる ⇒人間ドラマが薄い

    なぜみんな「シン・ゴジラ」を語りたくなるのか?9つのポイント
  • シン・ゴジラ 感想-ゴジラとは核と映画製作

    シン・ゴジラを見る。面白かった。 キャッチコピーの「現実(ニッポン)と虚構(ゴジラ)」通りの作品。 東京の破壊描写、そして自衛隊とゴジラの戦いのすごさに 涙を流しすぎて鼻水まで垂れてきてしまった。 特に後半のヤシオリ作戦での、土木作業車の大群。 新幹線や電車自体が爆弾になってゴジラに突撃する描写では ただただ、かっこいいと涙を流しながら見ていた。 ゴジラが起こす東京の破壊に 「もっと破壊を見たい」というカタルシスを感じつつ 一方で「これ以上日を壊さないでほしい」という 矛盾するような二つの感情を抱きながら見ていた。 現実としては東京の破壊はないことに越したことはないのだが 虚構を楽しみたい観点に立つと、東京の破壊を見たくなる。 一つの感情だけ物語を感じるではなく 複数に抱く感情で同時に揺さぶられる点が、 シン・ゴジラの凄さだったと思う。 庵野監督と樋口監督とゴジラ ゴジラを引き受けた庵野

    シン・ゴジラ 感想-ゴジラとは核と映画製作
  • 「甲鉄城のカバネリ」に見る富野アニメ的要素・富野節

    「甲鉄城のカバネリ」を見ていると 「富野アニメ的」「富野節」という指摘や感想をみかける。 私もカバネリは「富野的な作品」と感じる。 ではどう富野的なのか。 カバネリに見る富野アニメ的な要素について紹介する。 不自由な場面設定から生まれる芝居から物語を作る まず読まれた方も多いだろうが、作の監督の荒木哲郎さんが 富野監督からの影響についての次の発言から振り返る。 荒木:もうひとつ、最近だと富野(由悠季)さんの『Gのレコンギスタ』10話の絵コンテ・演出をやらせていただいた影響が大きいですね。昔から富野さんには憧れていましたが、目の前で仕事を見たことによって、お客さんとして見ている時以上に吸収できた部分がありました。『カバネリ』を作っている中で、「あっ、俺こういうことできるようになったんだ!」と思ったところがいくつかあったんですけれど、富野さんとの仕事をしたからこそだと感じています。 ――例え

    「甲鉄城のカバネリ」に見る富野アニメ的要素・富野節
  • 「鉄血のオルフェンズ」は「心が叫びたがってるんだ」であるーオルフェンズの総評

    「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」25話「鉄華団」を視聴。 ※サブタイトルが出る直前のこの絵が美しい。この絵を見せたいがために、 オルフェンズの物語を帰納法的に作ってきたのではないだろうか。 1話の感想記事で、長井龍雪・岡田麿里コンビの映画になぞらえて 「ガンダムが叫びたがってるんだ」と書いたのだが、 案外、1期最終話はここさけではないかと思った。 その理由として アイン、ガエリオ、マクギリスが、 そしてクーデリア、オルガ、そして三日月のみんなの 「心が叫びたがってるんだ」といえるように 思いの丈を吐き出した展開になったからだ。 アインはクランク二尉への思いから、 クランク二尉を殺した三日月とバルバトスとクーデリアに対し 自らの正義心の全てを三日月に叫ぶ。 そんなアインの叫びを三日月は悉く否定するのだが… ガエリオは自身を裏切ったマクギリスに対し カルタのマクギリスへの思いと、マクギ

    「鉄血のオルフェンズ」は「心が叫びたがってるんだ」であるーオルフェンズの総評
  • 「鉄血のオルフェンズ」と正しさ-未来の報酬

    鉄血のオルフェンズの世界でいう正しさとは何か。 今回24話で、マカナイを市街地に送り届ける為の 最後の作戦をオルガがみんなに伝えるシーン。 そこでオルガは鉄華団という一つの家族のために 個々人の命をチップにして、未来の報酬を手に入れようとみんなに伝える。 年端もいかない子供達に分が悪い命のやり取りを強いるオルガ。 そしてそのオルガの想いに強く共感する鉄華団。 狂信的ともとれる彼らの信念。 大人のメリビットは、命を賭ける作戦に反対する。 子供達を囮にし、みずみず命を失われる作戦は正しくないと。 しかしメリビットの正しさは、鉄華団には届かない。 最後、メリビットは子供達の姿を見て何も言えずただ泣くのみであった。 同じく大人のナディもまた間違っていることを知りながら、 彼らをフォローすることに徹する感じで見守る。 鉄血のオルフェンズを見ていると、 いわゆる「正しさ」では鉄華団を救えない事がうかが

    「鉄血のオルフェンズ」と正しさ-未来の報酬
  • 「灰と幻想のグリムガル」と「あいうら」

    灰と幻想のグリムガル9話で ハルヒロの主観ショットで街中を歩くシーンを見ていたら あいうら11話の奏香と彩生が雨の日に出かけるシーンを思い出した。 ※灰と幻想のグリムガル9話 ※あいうら11話 グリムガルもあいうらも中村亮介監督なのだが、 こうした街並を歩くシーンを印象的に描くなぁと思った。 街並の背景がまるで動いているかのような見せ方が印象的。 また両作の筋の話でいえば グリムガルとあいうらの日常の描き方については、 物語の展開以上に彼ら彼女達の所作を中心に追っている点で、 ジャンルは違えども、作品の見せ方は近いと思う。 あと個人的には、あいうらのカナカナとグリムガルのランタは うっとおしく描かれている点で、キャラ的に近いかなと思ったり。

    「灰と幻想のグリムガル」と「あいうら」
  • 日本初のアイドルアニメ「さすらいの太陽」と「ラブライブ」-サンライズと富野由悠季。

    「さすらいの太陽」というアニメがある。 1971年にフジテレビで放送された、 藤川桂介原作、すずき真弓作画による漫画原作。 手塚治虫の虫プロがアニメ制作。 物語は宇多田ヒカルの母で歌手の藤圭子をモデルにした 主人公峰のぞみが芸能界を目指す内容となっている。 虫プロダクションの公式ページのさすらいの太陽を紹介するページでは、 日初、芸能界を描いたアイドルアニメ 芸能界の内情やヒロインたちの持ち歌のリリースなど、現在の「けいおん!」等に代表される音楽系アニメの礎を築いた作品でもある。 出典:さすらいの太陽(虫プロ公式) と紹介されている。 TVアニメで先駆けて音楽、芸能、当時のアイドルを題材に扱った作品である。 編では当時の流行歌やED曲(心のうた)が流れ、 歌を押し出した内容であるのが伝わってくる。 そんな「さすらいの太陽」であるが、 制作スタッフを挙げてみると中々興味深い面々が参加して

    日本初のアイドルアニメ「さすらいの太陽」と「ラブライブ」-サンライズと富野由悠季。
  • 「フミタン追悼」

    フミタン フミタン フミタン フミタン フミタン フミタン フミタアアアアああーーーーーン 「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」16話。 三大ヒロインの一角であるフミタン・アドモスが ドルトコロニーとギャラルホルンで起きた紛争の最中、 同じく三大ヒロインのクーデリア・藍那・バーンスタイン を狙う凶弾から身を庇い死亡した。 メガネ・メイド・クールという当ブログの琴線に触れる存在 フミタンに対し哀悼の意を表します。 つらい。

    「フミタン追悼」
  • 「話数単位で選ぶ、TVアニメ10選を語る会」レポート、及び10選についての思い

    2016年1月11日に新宿ネイキッドロフトで 「話数単位で選ぶ、TVアニメ10選」を語る会 が開催された。 今回の記事はイベントのレポートと、 「話数単位で選ぶ、TVアニメ10選」への思いを書きたい。 「話数単位で選ぶ、TVアニメ10選」とは何か そもそも「話数単位で選ぶ、TVアニメ10選」とは何か。 ルールはその年に放映されたアニメの中から 1作品につき1のみ選ぶという条件の元、 これぞという話数を10(10作品)選ぶ。以上だ。 この企画は2010年の年末に始まった。 始めたのは「mike_nekoのアニメ雑感」のmike nekoさん。 「mike_nekoのアニメ雑感」さんの10選記事に対し、 他のブログの方々が反応し、次々に行われるようになった。 当時ブログ「karimikarimi」のkarimikarimiさんのustreamを聞いていて karimikarimiさんが「話

    「話数単位で選ぶ、TVアニメ10選を語る会」レポート、及び10選についての思い
  • 「鉄血のオルフェンズ」のタナトスとエロス。そして半勃起。

    「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」13話を視聴。 昌弘は兄を庇って死に、 鉄華団とブルワーズの戦いで 双方ともに多くの死傷者が出た。 昌弘は最後は心を通わせ兄と手を繋げた。 昭弘も(編上はともかく)最後には死ぬのだろうが、 兄と弟、再び巡り合ってほしいと願う。 死ータナトス 今回は色濃く死と生を描いた展開だった。 まずOPに入る前は、鉄華団とブルワーズの戦闘で死そのものを描く。 OP後は生者が死者を送り出す、葬送をもって死を描く。 花火のように美しい光が、生と死を象徴するかのよう。 鉄血の世界ではオルガのように葬式の概念に希薄なのもいるようだ。 今の日とは違い、葬式の意識が薄い世界だからこそ、 若者達の死を描く作で葬式を行うことに意味や価値が見いだせるのだろう。 生-エロス、そして半勃起 そして死者を送り出した後に描かれるのは生への執着、意識だ。 エロスといってもいいのかもしれ

    「鉄血のオルフェンズ」のタナトスとエロス。そして半勃起。
  • 子供が大人と渡り合うには-「鉄血のオルフェンズ」7話のやんちゃ性と画面演出について

    はじめに タービンズの名瀬・タービンが鉄華団と接触。 オルガは名瀬の要求を呑めないとして交渉は決裂。 タービンズは実力で鉄華団を抑えようとする。 大人のタービンズ-子供の鉄華団 「鉄血のオルフェンズ」を読み解く主要なキーワードとして 「子供と大人」が挙げられると思う。 過酷な環境下で生き残ってきた子供達の鉄華団が、 生き抜くために立ちふさがる大人達に対抗していくのが 「鉄血のオルフェンズ」の物語の骨子だと思う。 今回、鉄華団に立ちふさがったタービンズは大人達である。 それは今回の最初のカットがペディキュア(足指にマニキュアを塗る)を行う ラフタ・フランクランドの姿でわかる。 足指にマニキュアを塗るのは、大人の女性的な振る舞いである。 最初にこのシーンを見せてきたのは 今回は大人の女性が鉄華団と関わってくるかという話の宣言のためだ。 名瀬・タービン。長髪の無精ひげに帽子をかぶったキザな大人。

    子供が大人と渡り合うには-「鉄血のオルフェンズ」7話のやんちゃ性と画面演出について
  • 輪廻のラグランジェ 3話「ランのポーズがエロい!まどかは最高に可愛い!」(感想)

    今回は最高に面白い! 見ごたえある戦闘シーンの連続! ランのエッチな描写! 何もかもが素晴らしい3話でした! まどかの可愛さにメロメロです! という事でこの作品のファンになりました! 感想 今回は丸々戦闘です! 劣勢のまどか 街を守りたいまどか 1対2と形勢不利になったまどか。 あいかわらずフォクス・アウラかっけえと思わせるシーン。 太陽を背にして組み合う二つのメカがカッコイイ。 一方のランはまどかが伝説を知らないから、 フォクス・アウラを軽がる乗れると思っているようです。 なので、まだ全力を出していないランの覚醒はもう少し先のようです。 敵メカはソードを出してきます。 ちなみにこのシーンのパースは、通称サンライズパース・勇者パースっぽく見えますが 私からするとパースがゆるく設定しているので、似て非なるものだという感じです。 そして敵の剣を受け止めようとするまどかでしたが、 どうやら白刃取

    輪廻のラグランジェ 3話「ランのポーズがエロい!まどかは最高に可愛い!」(感想)
  • 失われた何か 輪るピングドラム18話にみる、ワイヤー・手・赤い毛糸を用いた山内重保の象徴的演出の妙

    高倉家3人の運命は過酷なものです。 何も望まなくても、生き抜かなければならない。 それが運命なら乗り越えるしかないのです。 今回は山内重保さん演出回。 状況を何かに託す演出が冴えていました。 あと多蕗が言っていた「透明な存在」 についても言及しました。 感想 多蕗桂樹が陽毬を人質にして、冠葉をおびき寄せます。 苹果はただ状況を見守るほかできません。 いきなり冒頭からたまげたカット。山内さん凄い! いきなり冒頭から、このカットですからね。個人的には「ヨシッ」って思っちゃいました。 さすが山内重保さん、と思いましたね。 どうやら多蕗は母子家庭で、父親とは離別。 母親は才能主義者の権化のような人で、才能しか愛せない方のようです。 (このアニメには健全な家庭を持つキャラは存在していません) 透明な存在 母親から才能を見切られた多蕗がいたのは「子供ブロイラー」 またなんか凄いのが出てきたぞって思いま

    失われた何か 輪るピングドラム18話にみる、ワイヤー・手・赤い毛糸を用いた山内重保の象徴的演出の妙
  • 1