ブックマーク / ohnosakiko.hatenablog.com (6)

  • 近代文学が終わった後の『文豪とアルケミスト』 - ohnosakiko’s blog

    文豪とアルケミストと小林多喜二と日共産党 - Togetterまとめ 『文豪とアルケミスト』というオンラインゲームで、近代文学の小説家(が現代に転生したもの)がキャラとして多数登場している中に小林多喜二も含まれており、それについて新聞『赤旗』が好意的に取り上げたところ、そのゲームのファンの一部が「政治利用だ」と憤慨しているという話。 それに対し、「小林多喜二はそもそも共産党で‥‥」などのツッコミが多数入っている。言い換えると、「元キャラの背後のコンテクストやコンセプト知ってるの?」。 一種の「断絶」である。 最初は「そういう文脈知らなくてゲームやってて面白いのかな」と思ったが、よく考えてみれば文脈込みで楽しむというのは、この「動物化するポストモダン」の時代には今や古典的態度だ。 「自分たちの好きなもの(蟹のハサミ持った「元反逆児」のキャラという虚構)が、嫌いなもの(左翼という現実)に紐付

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  • 連載エッセイ「絵を描く人々」更新されました。今回は「ヘタウマ」。 - ohnosakiko’s blog

    絵を描く人々 第8回 ヘタウマの功罪 - WEBスナイパー 「ヘタウマイラストは、サブカル周辺から出てきた。むしろサブカル=ヘタウマくらいの勢いだった。」(文より) ということで、振り返る70年代末〜80年代。美術を志してウマウマを目指す路線に乗ってしまっていたけど典型的なサブカル女子(!)でもあった自分には、いろいろムズムズするものがありました。 ヘタウマって、下手じゃないんですよね。もともと上手いんです。上手い人が下手っぽく描くというのは、それはもう、そこに抜きん出た個性があるから、それが面白いからです。面白くもなんともないヘタウマは、ただのヘタヘタです。 それにしてもあの勢いは何だったんだろう、ヘタウマといいサブカルといい。 時は移ってサブカル全盛時代が終わり、というかサブカルがメインカルチャーになり、そこではヘタウマよりはウマウマが流行ってみえる昨今。『君の名は。』も『この世界の

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  • 「理想」と「欲望」は切り分けできないし、「萌え絵」は「日本美術」ですよね(どっちかというと) - ohnosakiko’s blog

    「萌え絵」が批判されるのは歴史がないからじゃない - 最終防衛ライン3 結論が最初の方に書かれている。 「萌え絵」も「理想」のひとつであろう。「萌え絵」が批判されるのは、誇張表現だからだし、誰かにとっては「理想」ではなく「欲望」にしか見えないからだ。現在「芸術」として残っている「裸婦像」は多くの批判に耐えて残ってきたものである。果たして「萌え絵」はそれに耐えられるだけのバックグラウンドを形成できるだろうか。この点を無視して時間や歴史が解決すると結論付けるのは、いささか楽観的すぎるだろう。 「独りよがりの「理想」はしばし、欲望の発露として捉えられるだろう」ともあったが、「欲望」の発露と捉えられてはいけないというのは何故かなと思った。「理想」であり同時に「欲望」の発露でもある、ということではいけないのだろうか。ヌード絵画から少女マンガまで、ほとんどの絵がそうじゃないですか? ”「欲望」それ自体

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  • 「エロいかどうか」より「御しやすそうに見えるかどうか」では - ohnosakiko’s blog

  • 原節子についてのあれこれ - ohnosakiko’s blog

    原節子が95歳で亡くなったというニュースが報じられた一昨日、ちょうど読んでいたのが、小津安二郎の『僕はトウフ屋だからトウフしか作らない』の中の原節子に言及されたところだったので、偶然とは言え驚いた。正確には『映画狂時代』(壇ふみ編、新潮文庫)に収録された「トウフ屋」の中の小津の芸談。 『麦秋』を撮り終わった後の小津監督は、原節子についてこのように書いていた。 (前略)『晩春』『麦秋』と二、原節子君に出てもらったが、それまでに原は大根だという人には気の毒な噂が伝わっていた。それだけに、出てもらった時は心配もあったが、結果は取り越し苦労だった。僕に言わしたらこの人は、大きな喜怒哀楽を大げさな表情では出せないかわり、チラリとした動きで立派に表現するというタイプの人なのである。 換言すると大きな声を出さなくても、大怒りに怒っている感じを出すことはできるはずである。原さんはこうした演出をすればそ

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  • 変な顔なのに、美しい - 剛力彩芽の造形美 - ohnosakiko’s blog

    剛力彩芽、その顔が天才だ! - 逆襲のブロガー 続・剛力天才論 - 逆襲のブロガー 剛力彩芽について熱く語っているid:yoghurtさんに、二番目の記事でブコメを取り上げて頂いたので、私もちょっと語ってみたくなった。 普段あまりテレビを見ない私が剛力彩芽を最初に認識したのは、スーパーの中に掲示されていた小さな広告の写真(森永乳業か山崎パンか忘れた)。「ちょっと変わった顔? でも好きなタイプ」と思った。それ以降、雑誌やテレビに登場するのを意識して観察するようになった。メディアにものすごく露出が多いのを知ったのは実は最近。(一部で?)「ブス」だと言われているのも最近知った。 ブスはあんまりだ。でもファニーフェイスと言えば近いと思う。喩えが古過ぎるが、目の小さいあっさり顔なところが若い頃のシャーリー・マクレーンっぽい。正統派の美人ではないマクレーンはよくファニーフェイスと言われていた。 「出過

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