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ブックマーク / fujipon.hatenablog.com (4)

  • 僕は「新しいゲームが生まれない時代」を生きているのかもしれない - いつか電池がきれるまで

    いま、PS4で『ニューダンガンロンパV3』を熱心にやっているのですが、まあなんというか、素晴らしく面白いけれど、とても殺伐としたシーンが多いゲームでもあるんですよね。 PSVITAでやった『カオスチャイルド』というゲームも、すごくよくできた物語でのめり込んでしまったのですが、けっこうキツい残酷描写が目立っていました。 「面白い」のは確かなのだけれど、こんなに殺伐としたゲームがものすごく売れてしまうのって、なんだか不思議な気がします。 『シュタインズ・ゲート』をはじめてプレイしたとき「僕は楽しいけど、『2ちゃんねる』用語が平然と並んでいるようなテキストが延々と続くゲームが、こんなに売れているのか」と驚いたのを記憶しているのです。 僕は「テレビゲーム」をかれこれ35年くらいやっているのですけど、最近よく思うのが、「新しいジャンルのゲームって、しばらく見ていないなあ」ってことなんですよ。 その代

    僕は「新しいゲームが生まれない時代」を生きているのかもしれない - いつか電池がきれるまで
    TERRAZI
    TERRAZI 2017/01/15
    「新しい」の定義にもよる。スト2やバーチャですら「イーアルカンフーから進歩してない」、ingressなら「オリエンテーリング電子版」と強弁できる。まぁ、インベーダー以降ずっと言われてる話やね。
  • 「ゲームセンターは不良のたまり場」だった頃 - いつか電池がきれるまで

    明治時代、読書といえば四書五経のようなマジメな漢籍を読むことであり、絵空事を書いた「小説」は読書のうちに入らないとされていた。で、「小説のような悪書を読むのは不健全である」と新聞で論じられたりもした。ひとえに小説が新しいメディアで当時の大人達が慣れてなかったのである— こなたま(CV:渡辺久美子) (@MyoyoShinnyo) 2014, 11月 26 1950年代に漫画が悪書扱いされ、日各地で焚書まがいの弾圧が行われていたのは有名だが、そのころ漫画を取り上げられて泣いていた子供たちが成長し老人になった今、誰も手塚治虫の漫画を悪書と呼ぶものはいない。— こなたま(CV:渡辺久美子) (@MyoyoShinnyo) 2014, 11月 26 このツイートを読んで、以前、ネットで書いたことへの、意外な反響に驚いたのを思いだしました。 僕が子どもの頃、いまから30年くらい前だから、1980年

    「ゲームセンターは不良のたまり場」だった頃 - いつか電池がきれるまで
    TERRAZI
    TERRAZI 2014/11/30
    「女子は「テレビゲーム」は「オタク男子がやるもの」だと眉をひそめていた」?『オタク』って言葉はも少し後じゃないかなぁ。当時はゲームマニアって言ってた。アニメっぽいゲームはなかったし。
  • ある中年男が「寂しいクレーマーおじさん」になった理由 - いつか電池がきれるまで

    参考リンク:寂しい人が小さく文句を言っていた - 続・鹿田内りなこさんのぺえじ 僕はこれを読んで、この「寂しいクレーマーおじさん」に、けっこう同情してしまったんですよね。 いや「哀れんでいる」というのではなくて、「この人と僕は似ている」と思うところがあって。 僕は基的に「大きな声を出す」のが苦手です。 そして、存在感が希薄なのか、ひとりで飲店に入ると、けっこう店の人に気付かれなかったりします(おもむろにを読み出したりするのも悪いのでしょうけど)。 賑わっているラーメン屋とかだと、カウンターで客側から「大盛りラーメン!」とか大声で注文しなきゃいけなかったりするじゃないですか。 でもまあ、そういうところに入ってしまったからには、やっぱりやめた、と出ていくわけにもいかず、意を決して「ラーメンひとつ、くだ、さい……」みたいな感じで、自分なりに大声を出して注文しようとしたりするわけです。 とこ

    ある中年男が「寂しいクレーマーおじさん」になった理由 - いつか電池がきれるまで
    TERRAZI
    TERRAZI 2013/10/20
    「大声で堂々と注文」する方の人間だけど、そこにハードルがあることは知ってるし、うっかりそういう人の順番抜かしちゃったっと気がついた時は「こっちの人が先」と言うようにしてる。がっかりするもんね。
  • mixiの衰退の原因は、サービスの内容の問題というより、「寿命がきた」だけ - いつか電池がきれるまで

    「mixiはなぜ、衰退したのか?」が話題になっているようだけれども、比較的初期からmixiを使っている僕からすると、衰退したというより、適正化したというほうが的確なんじゃないかと思う。 『美味しんぼ』の「サラダ勝負」で、海原雄山が「人間は質的に生野菜が好きじゃない」というようなことを言っていたけれども、mixiの最盛期っていうのは、それこそ「生野菜嫌いの人でも、健康のためには生野菜をべなければならない」というような強迫観念に駆られ、みんなmixiに登録していたように思われるのだ。 これはfacebookでもそうなのだけれども、一部のヘビーユーザーがどんどん「見てほしい私」を投稿し、それに「イイネ!」とつけないと居心地が悪くなる、という雰囲気は、多くの「そんなに他人と繋がることが好きじゃなく、価値も見いだせない人」にとっては、「めんどくさい世界」でしかなかったはずだ。 「足あと機能」がな

    mixiの衰退の原因は、サービスの内容の問題というより、「寿命がきた」だけ - いつか電池がきれるまで
    TERRAZI
    TERRAZI 2013/10/05
    人生はリセットできないっていうけど、節目節目である程度はリセットしないと、新しいことできないよね。
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