『週刊ダイヤモンド』特別レポート ダイヤモンド編集部による取材レポートと編集部厳選の特別寄稿を掲載。『週刊ダイヤモンド』と連動した様々なテーマで、経済・世相の「いま」を掘り下げていきます。 バックナンバー一覧 発生から1週間あまりが経過した東日本大震災。被害規模が過去最大ならば、経済に与える損失も膨大だ。生産設備の破損に加え、インフラ寸断、部品不足などボトルネックが引き起こす経済縮小の危機に直面している。 (「週刊ダイヤモンド」編集部 大震災取材班) ※本記事は、「週刊ダイヤモンド」3月26日号(22日発売)の緊急特集「列島激震」からの先行公開第一弾です。第二弾は近日公開予定です。 経済損失は20兆円規模か 復興の財源に付きまとう不安 東日本での大震災を受けた週明けの東京市場は、市場関係者を青ざめさせるほど大荒れとなった。 14日に1万円の大台を割った日経平均株価は、福島第1原子力発電所の
●知事 昨日来、災害支援対策本部を結成をいたしまして、私どもで精力的に支援を行おうという動きを強化をいたしました。実は今朝方、宮城県の村井知事と電話で相談をいたしました。村井知事から特に今の被災地の状況、避難所の状況も非常に難しいところがあると。 まあご想像いただきたいと思いますが、根こそぎ津波でもって行かれてしまっています。例えば避難所に子どもさんがいても学校が機能しているわけではございませんので、そういう家族で滞在するところとしてなかなか困難がある。そういう悩みが色々とあるらしいです。 それで私の方から昨日も記者会見で申し上げましたことでありますが、住宅を手当をするとか公営住宅を1400戸用意をしましたよとか、そういう話もさせていただいたんですけども、一時避難の受入れ先をぜひ探したいということがございました。そこで私としてもそればぜひ引き受けたいということを申し上げました。 その後、庁
宮城県知事 県外に集団移住を 3月22日 16時59分 宮城県の村井知事は、今回の震災の被災者で仮設住宅への入居を希望する人がすべて入れるようになるまでには1年以上かかるという見通しを示し、「一時的に県外に集団で移り住んでほしい」と呼びかけました。 宮城県内で、震災のために自宅を失うなどして避難所で生活している人は、22日現在で11万2000人余りに上り、仮設住宅の建設を急ぐよう求める声が出ています。これについて、村井知事は「すべての人が仮設住宅に入るのには、目安として1年以上かかる」と述べ、仮設住宅の整備までには時間がかかるという見通しを示しました。そのうえで、「ずっと避難所で生活するのは困難な状況なので、できるだけ多くの方に、一時的に県外に移住してもらいたい。見知らぬ土地での生活には不安もあると思うので、コミュニティーを維持して集団で移住してほしい」と呼びかけました。また、ガソリンなど
好きなものは空と緑とS2000とガンダムとラジコン・ミニ四駆、Perfume(かしゆか)。ときどき子育てとキャンプ。 2001年9月11日、同時多発テロ発生。 ニューヨーク・ワールドトレードセンター(WTC)にハイジャックされた2機の旅客機が激突し倒壊。ワシントン、ペンタゴンにも同様に旅客機が墜落し、大きな被害を受けました。 この時私はニューヨーク、マンハッタンにいました。 空港は即座に封鎖、マンハッタンへ出入りできる橋、船すべて閉鎖されました。つまりマンハッタンは孤島となったのです。 この時情報は錯綜しました。一体WTCで何がおきているのか。マンハッタンで何がおきているのか。現地メディアのNY駐在員はともかく、海外メディアは「空港封鎖」「マンハッタンへの出入り禁止」により取材ができませんでした。 事件発生から数日後、ようやくマンハッタンに入れた日本のマスメディアが行った行動はこうでした。
東京電力によると、福島第一原子力発電所の放水口近くで21日、海水をサンプリング調査したところ、国の規制値を上回る放射性物質が検出された。 放射性ヨウ素131は規制値の約126倍、放射性セシウム134は約25倍だった。東電は原子力安全・保安院と福島県に連絡した。 同原発3、4号機への放水や雨で放射性物質を含んだ水が海に流れた可能性があるという。
震災でライブ自粛、それならTwitterでエアライブ! ファンが企画、バンドが応えた、テクノポップ感動の一夜 トレンド 2011年03月22日 15時30分 ツイート 粋な試みだった。 3月18日、Twitter上でなんとも摩訶不思議な音楽イベントが行われた。 夕方頃より「#Air shunto2011」のハッシュタグがつけられた書き込みがTwitter上で次々に踊り始める。 「エア物販並んだ」 「エア会場に向かってるなう」 渋谷O-WESTで同日予定されていた人気テクノポップバンド・アーバンギャルドのライブイベント「アーバンギャルドの春闘2011」が、東北地方太平洋沖地震の影響で中止になったのを受け、ファンがTwitter上で架空のライブステージを企画し、行ったのだった。 イベント名にかけ、その名も『こんなときですが、こんなときだからこそ、アーバンギャルドのエア春闘』。 ハッシュタグとは
3月15日より名古屋・中京大学文化市民会館オーロラホールを皮切りに『メンフィス・ブルース・ツアー2011』を行うため、11日に来日した米国出身歌手のシンディ・ローパー。震災の影響で公演延期が続くなか、「私にできることは音楽。私の歌で少しでも勇気を、少しでも元気を与えることができるなら、それが私の仕事と思っています」と15日と16日(東京・Bunkamura オーチャードホール)の公演を予定通り開催した。 【写真】その他の写真を見る 日本から出国する外国人が多いなか、少しでも日本の役に立てるならとコンサートを行い、最新アルバム『メンフィス・ブルース』(2月23日)に収録の「ジャスト・ユア・フール」や大ヒット曲「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」など、16曲を熱唱。当日は義援金の募金箱を設置し、支援を呼びかけた。 また、「ちょうど飛行機に乗っていたので何が起こってるのかわかりませんでした
ヒーローはいつも間に合わない 2011年3月22日 社会カルチャーメディア コメント: トラックバック (0) フィード社会カルチャーメディア (これまでの 小田切博の「キャラクターのランドスケープ」はこちら) チェルノブイリ原子力発電所の事故は、東日本大震災の渦中にあるいまから25年前、1986年4月26日に起きた。 それから1年が過ぎた1987年、アメリカの大手コミックス出版社、DCコミックスの人気タイトル『Justice League』誌で、バットマンをはじめとするスーパーヒーローたちがロシアの原子力発電所の危機を救おうとするストーリーが展開されている。 この物語は87年春にリニューアル創刊された同誌の2号から3号にかけて掲載されたもので、現在は『Justice League International』Vol.1に収録されており、比較的簡単に読むことができる(英語でだが)。 当時の
3月11日に発生した震災で被災された皆様に対しまして心よりお見舞い申し上げます。この原稿を書いている3月21日現在で、亡くなった方・行方不明の方が2万人を超えてしまいました。さらに多くの方が避難所で不自由な暮らしを余儀なくされ、福島の原子力発電所の事故は終息していません。 地震・津波・原発事故、この戦後最大ともいえる日本の危機に、私は何ができるのか。様々な衝撃的な映像が飛び交うテレビを前にこの10日間考えてきました。節電、募金、献血、思いつくことをやってみても、自分の無力さに歯がゆい思いをしています。しかし一人の国民としてできるこうしたことの他に、私たちエンジニアだからこそやらなければならないことがあるはずです。 それは、この震災から、人類が安全で幸せな生活をおくるために将来どのような技術が求められているかを真剣に考える。そして研究開発の方向性を示し、全力でそれを実行し、人々が安心して暮ら
まず、東北・関東大震災および原発事故により被災された方々と企業の方々に、心からのお見舞いを申し上げたいと思います。 これを書いている今も、できればボランティアとしてなんらかのお手伝いに行きたいと強く思いますが、実際には重機も医療技術も持たない空身の男がひとり行ったところで、今のところ足手まといにしかならないようです。1週間、2週間たてばまた状況も変わるのかもしれませんが、それまでは自分たちのできることをきちんとやりつつ、復興に向けて何ができるのか、考えていきたいと思います。 まずは義援金と献血から、でしょうか... ----- 実際、今回の地震であらためて思ったのは、自分の仕事の特殊性である。いや、以前からそう思ってはいたのだが、私の仕事(ホワイトカラーの生産性向上のためのコンサルティング)とは、実に「第3.5次産業」なのである。第三次産業があって初めて成り立つ職業、という意味だ。 今回の
東南アジア・タイの路上でホームレス生活をしていた男・福井厚志さんをご存知だろうか? タイの首都・バンコクで一文無しになり路上生活をしていたものの、どんどん自身の地位を高めていき、日本居酒屋の部長にまでのし上がった男である。 今回は、そんな熱い男の生き様にクローズアップしていきたいと思う。2011年2月末、取材班は彼に会うべく微笑みの国・タイの首都バンコクへと向かった。まずは彼の人生を解説するとしよう。 ・海外でホームレスと化す 福井さんは通称ふくちゃんと呼ばれており、タイに住んでいる日本人で知らない人はいないほどの有名人となっている。しかし彼がここまで有名になるには、鬼のように厳しい過去があったのだ。 単身タイへと渡ったふくちゃんは、日に日にお金がなくなっていき、最終的にホームレスになってしまった。観光客たちが集まるバンコク・カオサン通りの日本人宿街で、路上生活を送っていたという。蚊やゴキ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く