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ブックマーク / gordias.hatenadiary.org (15)

  • 腐女子ノ先ニアルモノ - G★RDIAS

    日の深夜、フジテレビ系列で放映です。 http://www.fujitv.co.jp/nonfix/index2.htmlオタク」 辞書を引くと「ある事に過度に熱中していること。また、熱中している人。」とある。メディアにたびたび登場する彼らは、その容姿や行動から、いつも奇抜さ、奇妙さが目立つ。彼らは、当は何を考えているんだろう。 ある日突然興味がなくなることってあるんだろうか?その時、彼らに何が残るんだろう?そんな疑問から、私はオタクを追いかけた。 まず私は、オタクの祭典と言われるコミックマーケットに足を運んだ。アニメやマンガ、ゲームを題材にした同人誌を売り買いするマーケットだ。3日間で約55万人もの人が集まる。東京ドームの集客数の10倍以上だ。 ものすごい熱気の中、私はある事に気が付いた。それは、女性の人数が多いこと。彼女達に話を聞くと、面白い発見があった。自分達の事を腐女子と呼

    腐女子ノ先ニアルモノ - G★RDIAS
  • 愛させる技術 - G★RDIAS

    kanjinaiさんが紹介しているように、17歳の女の子の水着DVDが児童ポルノとして摘発された。 http://d.hatena.ne.jp/gordias/20071022/1192991596 私自身、今年の春頃から機を見ては、この問題を友人と議論してきた。しかし、この問題は表現の自由、性の商品化、性の自己決定、売春婦差別、子どものセックスなど、気をつけなければならない点が多く、これという結論は出せずにいた。女の子たちとセックスを結びつけようとする、過度の扇動を批判することは必要だろう。しかし、どの角度から、どのように規制するのか、という点には慎重にならなければならない。左翼にしろ、フェミニストにしろ、反性暴力運動にしろ、動きは鈍い。 一方で、kanjinaiさんが引用している、web上のニュースにもあるように、批判は女の子たちの母親に向けられる。かわいい娘を金儲けの手段にするのか、

    愛させる技術 - G★RDIAS
    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2007/10/23
    (いっそ全員盲目で去勢されますか…(←…
  • 愛と暴力の間 - G★RDIAS

    杉田俊介が、弱者暴力についての批判を書いている。暴力の加害者は、ときに、別の暴力の被害者でありうる。そのとき、加害者は、過去の被害体験を持ち出して、自己のふるった暴力を正当化することがある。そのことについて、杉田さんは、簡潔に述べている。 この数年、私自身のだめさをふくめて、自分の足元を鶴嘴で掘り進めたあげく、行き当たった岩盤(足場)のありかを今、一つだけ再確認するなら、それは「かつて悲惨な被害にあった当事者が、それを理由に、別の人間に何をしてもいい、傷ついた人間が直接間接に他人を傷つけて構わない、とは言えない」、という単純な事実であるらしい。 杉田俊介「弱者暴力との抗争――内藤朝雄氏のよわよわしさについて(後半)」『いきすべき批評』(http://www.allneetnippon.jp/2007/08/4_10.html) 読んでいて、私もこの数年の自分のだめさが頭を駆け巡った。 これ

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  • 死刑・・私は少数派 - G★RDIAS

    鳩山邦夫法相が、死刑は法相がサインしなくても自動的に執行されていくようにならないかと述べたとのことだ。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070925-00000030-mai-soci 発言を読んで、なんとも言えない不快感が・・・。どこが不快とは言えないが、いやーな気持ちになる。私は死刑反対論者である。根拠は「生命学とは何か」でも書いた。 ところで、日では、死刑賛成が大多数の世論となっている。山口の事件のいきさつもあって、最近はとくに賛成派が増えているようだ。その中で反対を明言するのは完全な少数派であろう。Yahoo!で、杉浦正健法相が死刑執行をしなかったことに対するアンケート結果が載っているが、8割が理解できないという判断をしている。 http://polls.dailynews.yahoo.co.jp/quiz/quizresults.php?

    死刑・・私は少数派 - G★RDIAS
    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2007/09/27
    (自分も少数派か?たぶん
  • エヴァンゲリオンはつまらん映画でした - G★RDIAS

    昨日、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」を映画館で見てきました。以下、個人的見解。 結論から言うと、とてもつまらない映画でした。思わせぶりな冒頭シーンから、テレビ版のつぎはぎが延々続くという話で、ところどころ新たなシーンがこれまた思わせぶりに入っているだけ。ヤシマ作戦が、装備など細かく描き直されてはいるものの、ゴジラのパクリという枠を超えることはできず、それが終わったら、「つづく」ってなんなのか。次回が「破」だそうで、そのあとがきっと「急」なんでしょう。はあ・・・。テレビ版およびこれまでの劇場版ではあったドラマツルギーが存在せず、映画っぽいものはあっても、「映画」がないという、見せ物でした。「まごころを、君に」では、映画館に集まったオタク客たちに向かって、現実に戻れというお説教をしたはずなのに、それから10年後の庵野は自分がふたたびアニメ世界に戻って、ファンダムにしか通用しない映画もどきを作

    エヴァンゲリオンはつまらん映画でした - G★RDIAS
    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2007/09/16
    "「まごころを、君に」では、映画館に集まったオタク客たちに向かって、現実に戻れというお説教をした""10年後の庵野は自分がふたたびアニメ世界に戻って、ファンダムにしか通用しない映画もどきを作った"先生!
  • 『もうガマンできない!広がる貧困』 - G★RDIAS

    もうガマンできない! 広がる貧困 作者: 宇都宮健児,湯浅誠,猪股正出版社/メーカー: 明石書店発売日: 2007/06/26メディア: 単行購入: 2人 クリック: 11回この商品を含むブログ (11件) を見る私は、この国で何が誇れるかといえば、現行の憲法であると思っている(もちろん、完全ではないとも思ってはいるけれども)。それも、戦争の放棄をうたった9条よりも、「健康で文化的な最低限度の生活」を保障することを誓った25条をより誇りに思う(戦争中は「健康で文化的」ではあり得ない)。しかしその25条も、現実的に破壊されようとしている。 このは、昨今のそのような現状を、当事者の視点から描いたものである。シングルマザー、多重債務被害者、障害者、高齢者、外国人女性たちが、生き続けていくのに過分に努力しなければならない現実を淡々と描いたものだ。また、労働問題やセーフティネットなど、各テーマご

    『もうガマンできない!広がる貧困』 - G★RDIAS
  • 私、産みたくありません。 - G★RDIAS

    昨日、会陰切開への恐怖感について書いていると、kanjinaiさんとshohojiさんがこんなコメントを下さった。 shohoji 『切らなかったら、場合によっては引き裂けて、もっと痛い目にあうのではないだろうか。 出産の際には、「痛いからいやだ」とか考える余裕はないし、このくらいの痛さなど、後になれば痛いことなど忘れちゃうものだと思います。』 (2007/07/08 01:25) kanjinai 『会陰切開については、ずっと賛否両論の議論があります。ウェブでも、たとえば、反対:<http: //www5.ocn.ne.jp/~kmatsu/osan/164sekkai.htm><http://www.sairosha.com/w- plus1ein.htm> 賛成:<http: //www2s.biglobe.ne.jp/~SYYYT/zokuboya/gensou.html>などがあ

    私、産みたくありません。 - G★RDIAS
    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2007/07/08
    []c( -_-)っi 学者なら トンデモ本に マジ反応するのはちょっと(字余り)
  • 本田透さんのインタビュー - G★RDIAS

    mammo.tv という高校生向けのウェブサイトに、田透さんのインタビューがアップロードされていました。 「モテなくても、それでも俺は生きていく」 http://122.200.201.84/interview/archives/no215.html 人間関係自体がうまくいかないし、女の子にモテない。キモがられる。そういうのが積み重なって、高校にはいられなくなって不登校になってしまった。モテの方向に行こうと思っても、鏡を見ればそれは無理だし、とりあえず自分の世界観を作り直さないと生きていけないなと思いました。それで何もかも疑うというデカルトみたいな人間になってしまった。「えらそうに現実なんて言っているけど、現象界なんてものは、しょせんは人間の意識に表象される観念の世界にすぎず…」なんて言いだしたらその人はもう立派な哲学者ですよ。 女性にもてない、自分は性的魅力が乏しいという自意識が哲学を

    本田透さんのインタビュー - G★RDIAS
    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2007/06/18
    (森岡先生に対談してみたいといわれるのはすごい(コメ欄
  • 錯綜する「女らしさ」 - G★RDIAS

    先日、友人が家に遊びに来た。彼女は大変カワイイ女子(ヘテロ)である。性格や仕草もカワイイが、それ以上に顔がカワイイ。しかも美容関係の仕事に就いているので、カワイサを際だたせる術も持っている。もちろん、私の友人の中でも1,2を争うモテ女子である。*1男がとぎれない。いいな、と思った相手を好きになる前に、告白されるという。常に、愛され側。すごいなあーと思っていたが、彼女は真剣に悩んでいた。 「もっと地味でいたい・・・カワイイ女を求められる。」 彼女は、そんなつもりはないのに、男に媚びる甘え上手、と周囲から言われてしまうことに傷つき、人間不信にさえなったという。彼女の中には、幼い頃からずっと抱えてきた、ジェンダー違和や、女としての身体へのコンプレックスもある。「女らしい」から愛されながら、「女らしさ」への苦痛も持っている。*2 そうこう考えていたら、おもしろい記事があがっていた。 「女らしくした

    錯綜する「女らしさ」 - G★RDIAS
    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2007/06/12
    "彼女は、そんなつもりはないのに、男に媚びる甘え上手、と周囲から言われてしまうことに傷つき、人間不信にさえなったという"……(いったい「らしさ」とは何か
  • モテへのアドヴァイスは恋愛至上主義に加担するのか? - G★RDIAS

    みなさんからの多数のコメントなどを参考に、再度、モテについて最初から考えてみる。 まず、人は恋愛する必要はない。モテる必要もない。私はそのように考えている。だから「恋愛できない男は、男じゃない、一人前ではない」という思想(恋愛至上主義)を私は否定する。もしそれが日社会を分厚く覆っているのならば、それは解体されるべきである。これが私の基スタンスなので間違わないようにしてほしい。 そのうえで、「恋愛したい」「モテたい」と心から思っている男の子に対して、私はアドヴァイスをしてあげたい。(これはモテなかった若き日の自分自身に対するunfinished businessという意味もあるのだろうと私は思っている) まず第一に、「モテ」の概念を転換しておきたい。一般には「モテる」とはいろんな女にちやほやされて恋愛・性愛しまくれることだと思われている。私はこれを「モテ」という言葉では呼ばない。なぜなら

    モテへのアドヴァイスは恋愛至上主義に加担するのか? - G★RDIAS
    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2007/06/11
    "まず、人は恋愛する必要はない。モテる必要もない。私はそのように考えている。"感動した
  • 「モテる男」について再度考えてみた - G★RDIAS

    4月14日に「モテとはひとりの女を大切にすることである」というエントリーを書いた。みなさんからいろんな反響があったので、その続きを書く。 それに関連して、sugitashunsukeさんのところで、非モテ1.0 2.0 3.0という議論があった。 http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20070427 これを参照しながら考えていきたい。 まず「モテる」とはいったいどういうことか、について、いくつかのとらえ方が現存する。私はそれをだいたい3つにわけて考えてみてはどうかと思うのである(上記エントリーもその考え方に立っているようだ)。 まずは、もっとも一般的な「モテ」の概念がある。これは、とにかく女に好かれまくって、つねにいろんな女と恋愛状態になれる・恋愛状態であるということを意味する。 モテ・1 モテる男とは、つねにいろんな女と恋愛・性愛状態である、あるいは

    「モテる男」について再度考えてみた - G★RDIAS
    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2007/05/23
    "モテ本のほとんどは、とても面白くない。とくに女性が書いたモテ男本は、要するに「私はこういうふうに男に扱われたい」という個人的なわがままの羅列の観を呈していることが多い"同感
  • 男をバカにした『モテる技術』 - G★RDIAS

    モテについては、近々新しいエントリーを書くが、その前に、私のテーゼ「モテる男とは一人の女性を大切にできる男である」を全否定するモテがある。それが、ここに紹介する『モテる技術』である。 モテる技術 (SHO‐PRO BOOKS) 作者: デイビッドコープランド,ロンルイス,David Copeland,Ron Louis,大沢章子出版社/メーカー: 小学館プロダクション発売日: 2002/04/01メディア: 単行購入: 6人 クリック: 126回この商品を含むブログ (32件) を見る こので言う「モテる」とは、いろんな女と、とっかえひっかえセックスを堪能するという「豊かなセックスライフ」を送ることであり、これが「モテる」ことだとされている(私の言うモテ1)。著者たちは米国人だが、このを実際に読んでみると、まことに男をバカにしたであることが分かる。以下、同書から引用してみたい。

    男をバカにした『モテる技術』 - G★RDIAS
    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2007/05/23
    "このような本が、米国だけではなく日本でもよく読まれている〔略〕。このような本を評価している男子諸君、目を覚ました方がよい。そしてこのような言説を垂れ流すような本こそが、真に批判されるべきなのだ"同感
  • 女性が哲学に惹かれない(らしい)のはなぜ? - G★RDIAS

    これは古典的な問いである。大学進学率が男女半々くらいになってきて、文系諸学科では女性の比率がむしろ高くなってきているが、心理学、社会福祉学、言語学などに比べて、哲学は女性から人気がない。その理由としては、以下が考えられる。 (1)概して女性は哲学的思考というものに興味がない。 (2)現存の「哲学」は伝統的に現実の女性を蔑視し、排除しながら構築されてきた。「女性は抽象的思考が苦手であたまが悪い」など。そういう学問に女性が興味をもたないのは当然。(また、女性蔑視してる哲学教師も多いから学生はそれを内面化する) (3)現存の「哲学」は、学問内容として、「女性の経験」を取り込んでこなかった。女性は哲学に、みずからの経験に響く要素を感じず、興味を持てない。裏返して言えば、現存の「哲学」は過度に男性ジェンダー化されている。 ほかにもあるかもしれない。私は個人的には(1)は無意味、(2)と(3)が大きい

    女性が哲学に惹かれない(らしい)のはなぜ? - G★RDIAS
    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2007/05/14
    (ショーペンハウアー……
  • 少女漫画と男性漫画の目の大きさ - G★RDIAS

    モテだの、媚びだの、ファッションだの関連話で、こちらの記事を読んだ。 で、なんですけどね。男性向け漫画の女性と女性向け漫画の女性ってのも顔が違うんです。少女漫画と少年漫画って、絵柄が違うでしょ?特に女性の描き方とか。 特に何が違うかっていいますとね。特徴的なのに、目の描きかたがあるんです。 なんと言いますかね、少女漫画だとかの、女性向け漫画だと、女性の目の書き込み量が男性向け漫画より「凄い」んですわ。 要するに、アレです。宝塚なんですよ。 pal9999「女性のメイクに関して的を絞って話すとですね」『pal9999の日記』(http://d.hatena.ne.jp/pal-9999/20070507/p1) 最近、少女漫画も目の描き方はアッサリしてきているので、「宝塚」というのは、いったいどんな雑誌を読んだのだろう、と思うが。もしかして、一条ゆかりを読んだのか?*1 それでも、CLAMP

    少女漫画と男性漫画の目の大きさ - G★RDIAS
    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2007/05/12
    "漫画論の人で、こういう統計分析やってる人はいないんだろうか。男性向け漫画と女性向け漫画の、目が占める顔の面積の比率をSPSSで、是非"ほー
  • モテとはひとりの女を大切にすることである - G★RDIAS

    モテ/非モテということが、男子のあいだで話題になっているようだ。これについては、人生の先輩として言いたいことがいろいろあるので、少しだけ書く。 モテは、「ちょいモテおやじ」みたいに、いろんな女にちやほやされて、性的な視線を送られることというふうに理解されることが多いと思うが、そこをコペルニクス的転回しないといけないように思うのである。 そもそも、「いろんな女からちやほやされたい、あわよくば、いろんな女とエッチしたい」という願望は、「権力欲」にほかならない。このような権力欲に裏付けられたモテにこだわっているかぎり、光明はさしてこないだろう。(沼崎一郎はこれを「男力」として批判している)。 そのような観念に絡め取られたうえで発せられる「モテ/非モテ」のパラダイムを、脱出しないといけないのではないのか。 では、コペルニクス的転回後のモテとは、いったい何なのか? 私が思うに、モテる男とは(とりあえ

    モテとはひとりの女を大切にすることである - G★RDIAS
    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2007/04/29
    "「ひとりの女を恋人として大切にする」ということを「モテ」と考えるというパラダイムシフト"シフトしてないんじゃないか(森岡氏だったなんて…
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