ブックマーク / paperwalker.hatenablog.com (8)

  • おいしい顔のためならば - 何を読んでも何かを思いだす

    アニメきっかけで読んだ漫画に雨隠ギド『甘々と稲』(講談社、全12巻、2013-19)という作品がある。 この前の休日に読み返したのだが、やっぱりいい漫画だった。 高校で数学を教えている犬塚公平は半年前にを亡くし、いまは5歳になる娘のつむぎと二人で暮らしている。 ある日二人は、公園で泣きながらお弁当をべていた飯田小鳥という女子高生に出会い、彼女の母親がやっている料理屋の名刺をもらう。 それからしばらくして、娘に雑な事をさせていることに気づいた犬塚は、つむぎにおいしいものをべさせようと先の名刺を頼りに料理屋に行くが、あいにく小鳥の母は不在だった。小鳥は引き返そうとする犬塚をとどめ、自分がおいしいご飯を作ると言う。 しかしどう見ても料理ができない小鳥は悪戦苦闘、どうにかこうにか土鍋のご飯だけ作ることができた。 そのご飯をべたつむぎはーー こんな「おいしい」顔をするのだった。 それを見

    おいしい顔のためならば - 何を読んでも何かを思いだす
    Tenebo
    Tenebo 2021/06/06
    記事を読んでほっくりしました。本の内容にほっくり、とても優しいお話を温かい言葉で要約されているpaperwalkerさんの文章にほっくりしました。
  • 絵葉書を読む(その7) 関東大水害 - 何を読んでも何かを思いだす

    『絵葉書を読む』第7回。今回の絵葉書はこちら。 『(明治四十三年八月東京大出水之実況)所割下水附近』 明治43年8月中旬。 梅雨前線と2つの台風の影響により、関東地方は集中豪雨にみまわれた。 この豪雨によって、関東地方全体で死者769人、行方不明者78人、家屋の全壊または流出は5000戸以上という甚大な被害が出た。東京府だけでも約150万人が被災したという。(Wikipedia参照) 上の絵葉書は、豪雨後の東京府所の様子を伝えている。 「割下水(わりげすい)」というのは道路の中央に造られた掘割のことで、江戸時代の初期に造られた。下水といっても生活排水を流すためのものではなく、雨水を効率よく川に逃がすためのものだ。幅はおよそ一間(けん)から二間〔約1.8m〜3.6m〕ぐらい。(ちなみにこの所の割下水があったところは、現在では「北斎通り」という道になっている) 絵葉書には「割下水附近」と

    絵葉書を読む(その7) 関東大水害 - 何を読んでも何かを思いだす
    Tenebo
    Tenebo 2021/05/28
    興味深いです。自然の脅威には、今も昔も敵いませんね。
  • 本と善意 - 何を読んでも何かを思いだす

    ヘレーン・ハンフ編著『チャリング・クロス街84番地 増補版』(江藤淳訳、中公文庫、2021)が出たので読んだ。 たしか四半世紀ぐらい前に旧版を読んでいるはずだが、細かいところは忘れていたので、新鮮な気持ちで読むことができた。 著者のヘレーン・ハンフはニューヨーク在住の作家。といっても当時はまだ有名な作家ではなく、テレビのシナリオや子ども向けのを書いて糊口をしのいでいた。 そんな彼女の楽しみは読書なのだが、いつも読むのは英文学やギリシア・ローマの「古典」で、それも小説や物語よりもエッセイや日記を好む。古書が好きで、新刊には見向きもしない。 しかし彼女の趣味を満たしてくれるような古書店が近くにはない。 そこで彼女は新聞に載っていた広告を頼りに、大西洋を隔てたロンドンの「チャリング・クロス街84番地」の絶版専門の古書店「マークス社」に欲しいのリストを送り、を取り寄せることにした。194

    本と善意 - 何を読んでも何かを思いだす
    Tenebo
    Tenebo 2021/05/23
    文字、文章、だから表現できる優しさって、確かにありますよね。そのせいか綺麗な文章に憧れます。
  • 一人称 - 何を読んでも何かを思いだす

    ブログを始めた時からずっと「私」という一人称を使っている。 とくに理由があったわけではなく、自然とそうなったのだが、ほかの人の文章を読んでいると、別の一人称の方がよかったのかなと思うことがある。 たとえば男性なら「僕」や「俺」というのがある。 「僕」は「私」に比べるとソフトな印象がある。なんとなく丁寧で人当たりがいいというか。しかしちょっと幼い感じがしなくもない。 それに対して「俺」はハードな感じだ。ブログで使っている人は少ないかもしれない。ちょっと乱暴な感じもするが、よそよそしくない、ざっくばらんな感じで語りたい時には合っているような気がする。 また〈ぼく〉にしても、漢字で「僕」と書くのと、ひらがなの「ぼく」やカタカナの「ボク」とではそれぞれ微妙に印象が違う。 もちろん「おれ」「オレ」についても同じことが言える。 いつも使っている「私」を「わたし」や「ワタシ」にすれば、このブログの印象も

    一人称 - 何を読んでも何かを思いだす
    Tenebo
    Tenebo 2021/05/20
    やつがれを使ったら、一回一回ふりがな打たなきゃいけなさそうですね😅
  • 退屈な「便利」、楽しい「不便」 - 何を読んでも何かを思いだす

    以前から気になっていた稲垣えみ子『寂しい生活』(東洋経済新報社、2017)というを読んだ。 タイトルからしてなにか他人事ではないような気がしていたのだが、しかし、予想していた内容とはだいぶ違っていた。 このは、現代人にとって「豊かさ」とは何かという考察なのである。 著者の稲垣さんは、福島の原発事故をきっかけに積極的に節電に取り組むようになる。 家電のコンセントをこまめに抜くところから始まり、やがて掃除機を捨て、電子レンジを使わなくなり、順調に電力消費を減らしてきた。 ところが、東京に転勤になった時、うっかり「オール電化」のマンションに引っ越してしまう。(うっかりしすぎだろう) 「オール電化」では、ちょっとやそっとの節電では思うように電力消費が抑えられない。 悩んだ末に、稲垣さんは冷蔵庫のコンセントを抜くことを決意する。 電子レンジは、あれば便利なものだが、なければないで大きな問題はない

    退屈な「便利」、楽しい「不便」 - 何を読んでも何かを思いだす
    Tenebo
    Tenebo 2021/05/15
    確かに、不便を楽しめる心のゆとりが欲しいです。便利さを手放せば、思い出が増える気もします。
  • 路地裏の古本屋のように、それから - 何を読んでも何かを思いだす

    はてなブログ」の管理画面に「こよみモード」というのがあって、その月のカレンダーに投稿した日が表示されるのだが、そのカレンダーの下(もしくは右側)に「✖️月のあゆみ」と題して、過去のその月に投稿した記事の冒頭部分が表示されるようになっている。 私はいま3年目に入ったところなので、今年の4月のカレンダーの下に、去年と一昨年の4月に投稿した記事が一つずつ表示されるわけだ。 その一つを読み返してみた。 paperwalker.hatenablog.com 一昨年の4月16日、ブログを始めてほぼ1ヶ月後、ちょうど10件目の記事だ。 記事の最初の方では、いわゆる「運営報告」のマネゴトのようなことをしている。どうもこの頃の私は、ブログというものは定期的に「運営報告」をするものだと思い込んでいたらしい。 しかし注目したいのは記事の終わりの方で、そこで私は自分のブログを古屋に喩えてこんなことを書いている

    路地裏の古本屋のように、それから - 何を読んでも何かを思いだす
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    Tenebo 2021/04/24
  • 立って半畳寝て一畳 - 何を読んでも何かを思いだす

    学生の頃は6畳+4畳半(台所)のアパートに暮らしていた。 しかし整理整頓能力が皆無の私はその二間をきっちり管理できず、6畳の方は布団を敷くスペースを除いてはと物で溢れ(その布団も最終的には「万年床」になったのだが)、4畳半の台所は不要になったゴミ置き場と化していた。 そんなアパートに、学校を卒業してからも20年近く住んでいた。 その後いろいろあって田舎の実家(一戸建)に戻り、さらになんやかんやあって今ではそこで独りで暮らしている。 実家には大小合わせて8部屋ぐらいある。私が子どもの頃には、ここで最大7人が生活していた。それがいまや私1人だ。当然その広さを持て余すことになる。 主に生活に使っているのは(台所を含む)3部屋ぐらいで、あとの部屋は物置状態になっている。しかもそこにある物の9割ぐらいは不用品のような気がする。要するに、学生時代のアパートが一戸建に変わっただけで、まったく進歩してい

    立って半畳寝て一畳 - 何を読んでも何かを思いだす
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    Tenebo 2021/04/19
  • 積んで花実が咲くものか - 何を読んでも何かを思いだす

    少し前にこんなことを書いた。 paperwalker.hatenablog.com これはどういうことかというと、 まず昭和に刊行された「日文学全集」を一組買って、第1巻から順に読んでいき全巻読破しようという壮大な計画である。 しかしその前提である中古の「日文学全集」を買うところで長年つまずいている。 種類にもよるが、この手の文学全集は少ないもので40巻ぐらい、多いものになると100巻を超えるものもある。 そんな大量のを一気に買うのは、いかに古好きでもちょっとなあ……ということを書いている。 そもそも私は優柔不断かつ臆病な性格で、石橋を渡る前に叩きに叩き、充分に強度を確かめたうえで、でも渡らないというめんどくさい人間なのだ。 つまり行動力というものがない。何かを計画してもなかなか実行に移せない。 だから今回のこの計画も、計画の段階でずっと凍結されるのだろうと私自身が思っていた。 と

    積んで花実が咲くものか - 何を読んでも何かを思いだす
    Tenebo
    Tenebo 2021/04/16
    ワクワクするお話ですね。でも、こうやって本を読んだ後に、すぐ著者に感想を伝えられたらいいですのにね。
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