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comment or tbと小飼弾に関するTheTocotonistのブックマーク (5)

  • 書く打つ写す : 404 Blog Not Found

    2008年01月20日20:00 カテゴリLogos 書く打つ写す いいえ、写すものです。 Geekなぺーじ : メールを書くのか、メールを打つのか さて、メールって書くものなのでしょうか?それとも打つものなのでしょうか? といっても現代中国語の話ですが。 ケータイが日以上に強いかもしれない中国でも、まだメールを「打」す人は少ないようで、ほとんどの人は「写」しているようです。以下の件数の違いにもそれが現れています。 写邮件 打邮件 ちなみに打つ場合、用例を見る限りほぼ必ず「手机」、すなわちケータイ端末経由のようでもあります。 ただ、これにはもう一つの理由も考えられます。というのも、中国人は音声通話の際にも電話を「打って」いるからです。この表現はめっさよく使うこともあってか、「リズムで学ぶ三文字中国語」にも登場します。 実はこのことから、中国ではそもそも比較的最近、すなわちプッシュ式の電話

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  • 生産性は誰のものか : 404 Blog Not Found

    2007年02月15日18:00 カテゴリMoney 生産性は誰のものか 私は絵心がないので、図を使わないで、かつ我が家の8歳と5歳の娘達にもわかるように説明してみる。 分裂勘違い君劇場 - 「他人の生産性が向上すると自分の給料も増えるのか?」を中学生でもわかるように図解する これについて、中学生にもわかるように説明してみます。Q:社員100名のある会社にナナ氏が入社しました。ナナ氏が入社してから、会社の売上げが倍になりました。ナナ氏の生産性はいくら? 単純に考えると、ナナ氏の生産性は他の社員の100倍ということになる。しかしそれって当だろうか。 Q:その会社にいるまで、ナナ氏はニートでした。家ではパンツ一つ自分では洗いません。ナナ氏の生産性はいくら? そう。ナナ氏の生産性は、ナナ氏がどこにいるかで変わってしまうのだ。パンツ一つ自分で洗えないナナ氏も、会社というシステムに組み込まれた途端

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  • ゼロ金利借りてくれなきゃ効果ゼロ : 404 Blog Not Found

    2007年02月15日03:00 カテゴリMoney ゼロ金利借りてくれなきゃ効果ゼロ この設問は、景気とは誰のものかという定義によって変わるでしょう。 宋 文洲の「言います、答えます」: ゼロ金利と景気と庶民の損得 ゼロ金利は当に景気にプラスでしょうか。 もし景気が庶民のものだとしたら、プラスではなかったと結論付けざるを得ないようです。 ゼロ金利の目的は、(1)すでに借りている者の金利負担を減らし、(2)そして新規に借りようとするものの背中を押すことだったはずです。(1)に関してはゼロ金利は確実に福音でしたが、問題は(2)が機能していないことです。 庶民にとって最大の借金の機会は、なんといっても住宅購入でしょう。実際ゼロ金利を肯定的に捉える意見の筆頭は、「住宅ローンが組みやすくなった」というものです。ところが、このゼロ金利政策の間、住宅ローンの新規実行残高は減っているのです。 不動産

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  • 生産性より消費性 : 404 Blog Not Found

    2007年02月12日11:30 カテゴリValue 2.0Money 生産性より消費性 そしてその社会の平均的な生産性というのは、何が決めるのだろうか? 山形浩生 の「経済のトリセツ」  Supported by WindowsLiveJournal - 生産性の話の基礎 賃金水準は、絶対的な生産性で決まるんじゃない。その社会の平均的な生産性で決まるんだどう考えても、「その社会の総消費量で決まる」という結論になると思う。 ちなみにここでは、貯蓄も消費に含めている。お金の行き先を決める行為は、すべて消費ということにしている。 なぜ生産するかといったら、消費するためだ。使いもしないのに作ってもしょうがない。たとえを20冊翻訳しても、誰も買ってくれなければ「生産」とは見なされない。読まれるでも「積読」されるのでもどちらでもいいけれど、とにかく買ってもらわなければ話にならない。一冊あたり50万

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  • 法に見る歴史の繰り返し : 404 Blog Not Found

    2007年02月15日13:30 カテゴリCode 法に見る歴史の繰り返し これはむしろキリスト教がローマから受け継いだ特徴と見るべきでしょう。 isologue - by 磯崎哲也事務所 - キリスト教のベースがない日は「法化社会」になれるのか? また、キリスト教社会や経済が領土や範囲を広げていったのも、(よくも悪くも)その法令解釈の柔軟さに負うところが大きいのでは。 「ローマ人の物語」に対する私の最大の不満は、「なぜローマはキリスト教に乗っ取られたか」という疑問に充分答えていないこと、というのは今まで何度か触れましたが、しかし「なぜキリスト教がローマ乗っ取りに成功したか」の背景に、「キリスト教がローマ化したから」ということは充分行間から伝わってきました。 しかし、entryの主題はそちらではなく、なぜ法は重箱の隅をつつくようになるのか、ということです。 これは、別に日だけの現象で

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