■6歳で連れ去られたパンチェン・ラマ11世、すでに18年が経過 2013年4月25日はパンチェン・ラマ11世、ゲンドゥン・チュキ・ニマ(ジェツン・テンジン・ゲンドゥン・イェシェ・ティンレー・プンツォック・ペルサンポ)の24歳の誕生日だ。彼は1995年5月14日にダライ・ラマ法王により正式に故パンチェン・ラマ10世の生まれ変わりとして認定された3日後に、家族共に中国当局により連れ去られ、未だ確実な消息は全く得られていない。連れ去られた時、彼は6歳だった。それから18年が経っている。 チベット亡命政府や支援団体はもちろんのこと、多くの外国政府や国連が中国に対し、ニマ少年の消息を明らかにするよう重ねて要求しているが、中国はこれまで一度も証拠を示した回答を行っていない。中国高官のニマ少年に関する最後の言及は2010年3月、チベット自治区主席ペマ・ティンレーが外国レポーターの「今、ニマ少年はどこにい
■前のエントリーで触れた国際チベット学者ら75人の連名の胡錦濤国家主席への手紙をご紹介します。オーセルさんのブログにあった中国語訳のものを翻訳。日本の学者さんもいらっしゃいますね。 ■75人の著名国際チベット学者による連名の胡錦濤国家主席への手紙。「チベット問題の妥当な解決をよびかけ、中国のチベット政策を厳粛に批判する」(http://www.tibetopenletter.org/) ■尊敬する主席先生: ■この2週間、世間はチベット高原各地で勃発した抗争を目の当たりにしました。大部分の抗争はまず平和的デモからはじまり、その後鎮圧され、かえって過酷な暴力を招いています。これまでに、チベット族を中心に数も分からぬ逮捕者と大勢の死傷者が出ています。 ■事態がこのように発展し、グローバルな関心と焦りを引き起こしていることは想像できることでしょう。学者としてわれわれが研究するチベット文明とは、
■2011年3月16日、ンガバのキルティ寺院で何があったのか(下)■ *本記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の2012年3月25日付記事を、許可を得て転載したものです。 China/Tibet Relations / joaquinuy ■キルティ僧院で何があったのか チベット人僧侶が語った焼身抗議と弾圧=キルティ僧院でなにがあったのか?(上) 焼身抗議と軍の包囲、そして信者たちの懇願=キルティ僧院でなにがあったのか?(中) 一カ月にわたる拘束と尋問、そして暴力=キルティ僧院でなにがあったのか?(下)(tonbani) 記事「チベット人僧侶が語った焼身抗議と弾圧=キルティ僧院でなにがあったのか?(上)」「焼身抗議と軍の包囲、そして信者たちの懇願=キルティ僧院でなにがあったのか?(中)」の続編です。訳及び解説はuralungtaさん。 ■一カ月にわたる拘束と尋問、そして暴力 2012年3
■2011年3月16日、ンガバのキルティ寺院で何があったのか(中)■ *本記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の2012年3月23日付記事を、許可を得て転載したものです。 Tibet / Kent Wang ■キルティ僧院で何があったのか チベット人僧侶が語った焼身抗議と弾圧=キルティ僧院でなにがあったのか?(上) 焼身抗議と軍の包囲、そして信者たちの懇願=キルティ僧院でなにがあったのか?(中) 一カ月にわたる拘束と尋問、そして暴力=キルティ僧院でなにがあったのか?(下)(tonbani) 記事「チベット人僧侶が語った焼身抗議と弾圧=キルティ僧院でなにがあったのか?(上)」の続編です。訳及び解説はuralungtaさん。 ■チベット人僧侶が語る「2011年3月16日」 2012年3月16日付のウーセルさんのブログ「看不見的西藏/Invisible Tibet」で転載紹介された文章「“他们
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