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歴史と日本史に関するTomosugiのブックマーク (22)

  • 1192(イイクニ)作ろう鎌倉幕府はなぜ定説ではなくなったのか? | THE NEW CLASSIC

    石井良助が注目したのは、表の「冒頭部分」という項目です。表記の移り変わりがあることに気づきますね。年代順にしてみると、ここは三つに分けることができるようです。石井良助はこれを、第一期(表中1~5)・二期(6~21)・三期(22~26)に分けました。 まず「前右大将政所下文」という表記が続くのが、第一期(表中1~5)です。これは当時、頼朝の称号が前右近衛大将(前任の右近衛大将〔通称、右大将〕の意)であったことによります。 それでは第一期から第二期(表中6~21)に移りかわる原因は何なのでしょうか。これは、頼朝たちがきまぐれに書式を変更したわけではありません。第一期と二期の境目にあたる1192年6月~8月ごろに何があったか―それこそがまさに、頼朝の征夷大将軍就任なのです。 1192年7月12日、朝廷は、征夷大将軍に頼朝を任じる正式決定をします。その命令が鎌倉に届けられたのが、7月26日。そし

    1192(イイクニ)作ろう鎌倉幕府はなぜ定説ではなくなったのか? | THE NEW CLASSIC
  • <高松塚古墳>「飛鳥美人」の戻る場所は…「せめて近くに」 (毎日新聞) - Yahoo!ニュース

    「飛鳥美人」に代表される高松塚古墳(奈良県明日香村)の極彩色壁画が、修復後も当面古墳に戻せない見通しになった。戦後考古学最大の発見とされ、国宝に指定されてから40年。「当面」がいつまでなのか、見通しは立っておらず、「現地保存」という考古学の大原則が揺らいでいる。 【壁画を元に戻した場合は…】  31日に東京都内で開かれた文化庁の検討会で、ある委員は石室が解体され、壁画のない古墳を「もぬけの殻」と表現。特別史跡としての価値があるのか、議論すべきだと主張した。複数の委員が「墓がある場所としての精神的な意味がある」などと反論した。しかし、高松塚に費やした約1時間は資料説明が多く、議論は低調で沈黙も目立った。 終了後、委員の森川裕一・明日香村長は「(現地に戻すことは)かなり難しいと感じた」と話し、古墳と壁画の一体的な保存や展示を考えるよう求めた。 修復後も当面壁画を戻さないことについて猪熊兼勝

    <高松塚古墳>「飛鳥美人」の戻る場所は…「せめて近くに」 (毎日新聞) - Yahoo!ニュース