かつて『日の出』があった。新潮社が1932年から1945年まで刊行していた大衆雑誌だ。 「日本スゴイ」企画などで売り出すも大苦戦し、会社を経営危機の寸前にまで陥れるも、1937年7月の日中戦争の勃発によって急回復、その後は当時数多あった戦意高揚の雑誌としての役割を務め、敗戦と同じ年に寂しく消えた。 その当時の同社社長は佐藤義亮。『新潮45』のLGBT特集問題に絡み、「良心に背く出版は、殺されてもせぬ事」との言葉が注目されている人物だ。 とすると、当然ながらこんな疑問が湧いてくる。『日の出』の戦意高揚は良心に背かない出版だったのか、と。ほとんど忘れられた『日の出』を、改めて読み直すべきときは今である。 「日本スゴイ」で売り出すも大失敗 『日の出』は、1932年8月に創刊された。当時隆盛を極めていた講談社の『キング』などをモデルに、佐藤社長が、満を持して送り出した大衆雑誌だった。 同年1月には