次は『大神』を扱おうと思う。だが、本題に入る前に、前編としていささか長めの「方法論」的な話を書いておくことにしたい。今までは読者に負担をかけるだろうと思って遠慮してきたのだけれど、読んでくださった方々の反応を見ていて、そろそろ明示して説明しておいたほうが親切だろうと考えるようになってきた。 ゲームに関する批評はちょうど、東浩紀編集の批評雑誌『ゲンロン』のゲーム特集や、『SFマガジン』のゲーム特集などが刊行され、議論が盛り上がり、積み重ねられている最中だ。本連載もほんの少しながらそれに資することができればと考えている。 さて、本連載が、「SF」にフォーカスしながら「ゲーム」を語ることの狙いについては何回か記してきたので、今回は、「ゲーム」を「評論」するために本連載がどのような方法論を採っているのか、その考えを読者の皆さんに伝えておくことにしたい。 ゲームそれ自体を評論するために――先行研究
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