作家が「缶詰」と称し、どこかのホテルや温泉宿に行き(あるいは編集者に連れて行かれ)、ひたすら原稿を書く、というのがある。そうまでしないと書けないのか、と昔は思っていたけど、今なら分かる。「日常」は細々とした「気にすべきこと・気になってしまうこと」が多過ぎるのだ。普段の場所でも原稿は書けるけど、それをずっと一日中、となると多分無理だ。食事とか各種の家事もしないといけないし、仕事に関連する本を読んで準備もしたいし、あと気になってるゲームの続きもやりたい。原稿を書いては休み、書いては休み休み休み、という感じで思ったように進められないことは容易に想像できる。 だから「合宿」という言葉が出た時、直感的に参加を決めた。会場へは自宅から電車で十分に行ける距離だったけど、宿泊施設を利用して缶詰の体験をしてみたかった。 これが、僕が9/23,24の三連休の終わり二日間に「クリエイティブ・ライティング合宿」に
当社の規定により満60歳で定年退職をした。長いようで短かった会社員生活も一区切りだ。自分のプログラマとしての会社員生活を振り返ってみる。無駄に長いし結論はないのでお忙しい人は飛ばして欲しい。 9月末なのでブログ界隈では退職エントリーがそこかしこに書かれると思うが、その中で自分の退職エントリーを連ねることにどれほどの意味があろうか。もちろんないのだが、それでも多くの書き手の年齢を考えると満60歳定年退職というところに若干の希少価値を見出せなくもない。 1984年に大学院修了して以来、プログラマとしてのキャリアを重ねてきた。大学時代の同期でプログラマとして就職したものは皆無だ。当時、工学部の同期はメーカーに就職するのがほとんどで、大手家電メーカー、自動車メーカー、電力会社などなど、当時の誰でも名前を知っている人気企業に就職するものが大半だった。 その中で、日本ディジタルイクイップメント(DEC
news.yahoo.co.jp 吉澤さん。 芸能界に入ったときからずっと応援してきたファンの中の一人として、今回の引退は妥当である、という前提のもとで、以降の文章を書いていきます。 *** 2000年春にモーニング娘。4期として私たちの前に登場した女の子。キリっと引き締まったビジュアルが印象的だった半面、歴代のメンバーが時折そうであるように、彼女もまた、なかなか前に出てこないモーニング娘。の新メンバーの一人でした。 年頃の女の子が前に出てこられないというのは人によって理由がまったく異なりますが、彼女の場合は加入当時の立ち位置や表情を振り返るに、上昇志向という名の主体性は、最初からあまり持っていない人だったのではと思います。 ただ同時に彼女は「役割を与えられたときに」とてつもないスター性を発揮する、そんな天賦の才を持っていました。 彼女が初めて金髪になって登場した『ザ☆ピース!』 、そして
山根のヤツが飯君と飲みたいというので、7月にちょっと『エメドラ飲み会』みたいなものをやったとき、ついでに『エメドラ』の開発史についてイロイロ聞いたので、メモ書きがてらに残しておく。 エメドラ飲み会で山根と飯君から話を聞いて、開発の順序は『テスタメント』→『サバッシュ』→『エメドラ』だったのは確定した。 やっぱ当人たちに聞くと一気にわかるw 飯君が参加した流れは以下。 (スタート)もともとポプコムにライターとして参加 → 当時、編集部では『サバッシュ』を作っていて手伝ってくれと頼まれる → 手伝ったらあっというまにいろいろ頼まれるように → 同じシステムでもう一本作ろう → バショウと組んで、『エメドラ』スタート。 と、こういう流れ。 最初は別のシナリオライターでやる予定が、飯君がやることになるのだけど、いろいろな理由でとても安くポプコムに掲載された広告があったので、エメラルドドラゴン・タム
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