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2012年3月28日のブックマーク (3件)

  • 人間因子の問題

    チェルノブイリ原発事故(1) ■事故の概要 チェルノブイリ原子力発電所は、ウクライナ共和国(旧ソ連)の首都キエフ(人口50万人)の北130kmのプリピャチ河畔に位置し、周囲を針葉樹林と草原に囲まれている。1986年4月26日未明、4号炉を停止する際に行われた実験の途中で原子炉が暴走、出力が急上昇して爆発する事故が起きた。この結果、原子炉建屋が大破し、炉の中にたまっていた放射性物質がウクライナ、ベラルーシを中心とする全ヨーロッパに飛散した。被曝者が500万人にも上る被害の実態は完全には解明されていないが、事故後30年間にわたる致死的ガンの発生数は、少ない見積もりで数千人、多い見積もりで数十万人だと言われる。原発周辺地域では、子供の甲状腺ガンなど、原子炉事故特有の疾病が多発していることが報告されている。 当時のソ連では、ゴルバチョフ大統領の下で従来の官僚主義的な体制を改めるべくペレストロイカ(

    TurkoisYu
    TurkoisYu 2012/03/28
    チェルノブイリ原発事故
  • TMI原発事故

    TMI原発の概要 1979年にスリーマイル島(TMI)原子力発電所で起きた事故は、原発に対するそれまでの「安全神話」を覆し、アメリカ国内に反原発の機運が高まるきっかけになったばかりでなく、多重安全設計を施した巨大システムが、ちょっとしたヒューマン・エラーから呆気なく崩壊していくことを示す格好の事例である。 TMI原発は、米ペンシルバニア州を流れるサスケハナ川の中州(周囲が3マイルあるのでスリーマイル島と呼ばれる)に建設された。2基の加圧水型軽水炉を持っており、事故を起こした2号炉は、定格熱出力が277万kw、電気出力が96万kwであった。 運転を担当したのは、メトロポリタン・エジソン社という地方電力会社で、1969年11月4日に建設認可を受け、78年夏の営業開始を目指していた。しかし、78年3月28日に初臨界に達した後、試運転中に蒸気漏れなどの故障が相次ぎ、修理や部品交換に時間がかかったた

    TurkoisYu
    TurkoisYu 2012/03/28
  • 教育と国民国家の歴史社会学

    ここ数年、中学・高校で使われている社会科の教科書(とりわけ歴史教科書)の記述内容をめぐる論争が、その熱を増しています。教科書に書かれる内容は、専門家がしっかりと調べた事実を載せていれば問題はないように思えるのに、なぜ論争の的になるのでしょうか? このページでは、この問題を歴史社会学の立場から、「教科書とは私たちにとってどのような存在なのか」に焦点を当てて考えたいと思います。はじめに現在の論争を簡単に振り返ったあと、日の代表的な教科書として山川出版社の『世界史』を所々で引用しながら(この教科書は、内容が最も詳しく、かつ学校での採用率が抜きんでていて、代表執筆者の入れ替わりがほとんどありません)、話を進めていくことにします。 ●90年代の歴史教科書論争 1995年に東京大学教授の藤岡信勝さんを中心に組織された「自由主義史観研究会」は、産経新聞社を初めとする新聞・雑誌数社の後押しもあって多くの

    TurkoisYu
    TurkoisYu 2012/03/28