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  • 「美しい顔」に寄せて――罪深いということについて 東北学院大学 金菱 清 - 新曜社通信

    「美しい顔」に寄せて――罪深いということについて 2018年7月17日   東北学院大学 金菱 清 「エッセーやルポルタージュと比べて何が小説を特別にしているんだろう?」と自問しながら、NHKのインタビューのなかで、カズオ・イシグロが、小説とは何かについて自らの問いに答えている(『カズオ・イシグロ文学白熱教室』)。 「私はあることを発見した。物語の舞台は動かせるのだと。舞台設定は物語の中で重要な部分じゃない。これに気付いた後、舞台設定を探すのが難題になった。あまりに自由になってしまったからだ。・・・物語を色々な舞台へ、世界中の様々な場所、様々な時代へ移せると分かってしまったからだ。」(イシグロ) 「小説の価値というのは表面にあるとは限らない。歴史書を時代を変えていいとしたら、おかしなことになる。歴史家がそんなことをしたら許されないだろう。でも、小説では可能だ。つまりこれは、物語の意図するも

    「美しい顔」に寄せて――罪深いということについて 東北学院大学 金菱 清 - 新曜社通信
    Unimmo
    Unimmo 2018/07/18
    語り得ぬものを排除することの犯罪性を犯罪者北条裕子が理解することはないだろう。
  • 東北学院大学 金菱 清 「美しい顔」(群像6月号)についてのコメント - 新曜社通信

    「美しい顔」(群像6月号)についてのコメント 2018年7月5日   東北学院大学 金菱 清 私は7月2日に『3.11慟哭(どうこく)の記録』の出版元である新曜社を通じて、短いコメントを発信しました。 震災をいまだ言葉で表現できない被災者が多い中で、それを作家自身がどのように内面化するのかが問われています。書『3.11慟哭の記録』は、容易に表現できない極限の震災経験を、編者の求めに応じて被災者が考え抜き、逡巡しながら綴った「書けない人々が書いた記録」です。単なる参考文献の明示や表現の類似の問題に矮小化されない対応を、作家と出版社に望みたいと考えています。(2018.7.2) 私ども東北学院大学金菱ゼミナール・震災の記録プロジェクトは、この7年間震災と向き合い、毎年のように言葉を綴って出版してまいりました(『呼び覚まされる霊性の震災学』『私の夢まで、会いに来てくれた』 『悲愛』 『3.11

    東北学院大学 金菱 清 「美しい顔」(群像6月号)についてのコメント - 新曜社通信
    Unimmo
    Unimmo 2018/07/06
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