文・写真/晏生莉衣 1990年代前半、壮絶な民族紛争が繰り広げられたボスニア・ヘルツェゴヴィナ。この内戦では、約20万人の死者と200万人以上の避難民を出したといわれている。「民族浄化」という言葉が、国際報道で繰り返し使われたことをご記憶の方も多いだろう。 現在のボスニア・ヘルツェゴヴィナは、東欧の美しい観光国として復興を遂げている。過去の紛争の歴史にまつわる影の部分と、甦った情緒豊かな異文化混在の風景という光の部分。そのどちらにも関心を惹かれて、各国から多くの旅行者が訪れている。今回は、過去の紛争に関連したひとつの地を紹介したい。 内戦以前の1991年の人口統計では、首都サラエヴォの人口は約36万人。そのうち、当時、ムスリムと呼ばれていた住民が約50パーセント、セルビア系が26パーセント、クロアチア系が7パーセント、どの民族かあえて選ばない「ユーゴスラヴィア人」が13パーセント、「その他