2011年7月21日のブックマーク (4件)

  • SYNODOS JOURNAL : 日本の職場の「窮屈さ」について 筒井淳也

    2011/7/2011:30 日の職場の「窮屈さ」について 筒井淳也 東日大震災は日の社会・経済にとって大きなショック要因となっている。と同時に、電力不足という課題はより構造的な変化を社会の様々なところに要請している。多大な犠牲をともなう災害ではあったが、何かしら社会が良い方向に変わるきっかけになるのなら、それを活かさないことは誰にとっても意ではないだろう。 みなさんは、日の職場は世界でトップレベルに「窮屈」であるという事実をご存知だろうか? 窮屈というのは空間的な意味ではなく(それもありそうだが)、自分の自由裁量で働く余地が少ない、ということである。よくいわれる有給休暇の取得率の低さなどから日の職場の窮屈さを推し量ることができるが、もっと直接的にそれを示すデータあるので、紹介しよう。 データは代表的な国際比較可能なサーベイであるInternational Social Sur

    Uxtushili
    Uxtushili 2011/07/21
    な気がする。
  • 自分勝手な日本人と協調的なアメリカ人 | 橘玲 公式サイト

    「日の親はなぜ子どもに甘いのか?」で、日人とアメリカ人の「確信度」の違いについての研究を紹介しましたが、近年の社会学や経済学では、国民性や文化によるエートス(行動や考え方)の差をアンケート調査や実験によって明らかにする試みが盛んに行なわれています。 こうした研究と、従来の日人論に見られる「個人的な体験からの感想」のいちばんの違いは、科学的な反証可能性が保証されていることです。たとえばある実験によって国民性についての仮説が提示されたとしても、別の実験によって第三者がその仮説を反証することができるのです。 こうした研究は、往々にして私たちの直感や常識と異なる結論を導くことがあります。その格好の例として、『残酷な世界~』から、日人とアメリカ人の協調性についての実験を紹介した部分を転載します。 *                   *                   *      

    自分勝手な日本人と協調的なアメリカ人 | 橘玲 公式サイト
    Uxtushili
    Uxtushili 2011/07/21
    バカを見ようとも、私は正直でいたい。
  • 頭が良い人になるには、「頭が良い人だと思われたい」という願望を捨てること - yuhka-unoの日記

    「頭が良い人だと思われたい」という願望を強固に持った人ほど、頭の良さから遠ざかってしまうのではないかと思う。「良い親だと思われたい」という願望を強固に持った親ほど、良い親から遠ざかってしまうように。 なぜなら、こういう人は「論理的=格好良い・感情的=格好悪い」という価値観に取り付かれやすく、自分の感情的な面を認められなくなるからだ。「良い親だと思われたい」人ほど、自分の悪い面を認められなくなるように。 「頭が良い人だと思われたい」という願望は、れっきとした感情なのだ。しかし、「論理的=格好良い・感情的=格好悪い」という価値観に取り付かれた人は、この感情を自覚できなくなる。自分の感情的な面はなかったことになり、理屈の下にある自分の感情を掘り起こすより、辻褄を合わせるために正当化の屁理屈ばかりが上手くなってしまう。 「論理的=格好良い・感情的=格好悪い」という価値観に取り付かれた人は、自分の感

    頭が良い人になるには、「頭が良い人だと思われたい」という願望を捨てること - yuhka-unoの日記
    Uxtushili
    Uxtushili 2011/07/21
    間接的に“能力のない者は諦めろ”と言っている、その者がいくら考えたところで、その努力が「頭が悪い愚か者」という事実を変えることはない。そんな哀しい努力をするより、その頭に見合った“自分”を探す方がマシ
  • ぼくはこうしてプログラミングを覚えた

    オリジナルはココです。フェイスブックのエンジニアでで史上ベスト3に入るといわれるEvan Priestley氏への質問「どうやってプログラミングを覚えましたか」に対する人からの答えです。 手短かに言えば 何年もの歳月の賜物というか。ぼくはただひたすらプログラミングが大好きで、(フェイスブックで働いていた)過去4年間、ほとんど他のことをしていない。その前も2.5年ほどプログラマーとして働いていたし、そのさらに前も6年くらい趣味でプログラミングをしていた。ぼくは高校も大学も中退しているので、それで空いた時間もプログラミングに費やした。つい最近フェイスブックを辞めたけど、未だに起きている時間のほとんどはプログラミングだ。 もっと詳しく言えば 月並みだが、ぼくはちっちゃい頃からコンピューターが好きで、我が家にあったヤツで(最初はMac Plusで途中からIIsiになった)で散々遊んだ。8歳か9歳

    Uxtushili
    Uxtushili 2011/07/21
    天才は努力なり。