最近、巷で3D製品が溢れています。そして『Nintendo 3DS』が発表され、ゲームでもその波が来るのかもしれないという感じになっていますね。 しかし、このような場合で使われている3Dというのは、当然のことながらイコール3次元ではありません。それはあくまで2次元のものを、人間に立体に見せるような技術でそうしたものを指しています。 そして、そういう「人間に立体に見せるような技術」というものは、ゲームでは今に始まったことではなく、昔から、それこそゲームが登場してから間もない頃からその試みがあったのですよね。それは「技術」と言うよりは、見せ方という「方法」の意味合いが強いですが。 というわけで、今日はかつてゲームにおいて当時「3D」と呼ばれた技術が使われたゲームについて振り返ってみたいと思います。 ちなみに選んでいるものは筆者の独断と偏見ですので「これがないぞ!」とか「これはちょっと強引だろ」
フランスのインディーズゲームディベロッパーShiro Ggamesが公開した、第1弾タイトル「Evoland」のトレーラー映像が面白そうです。 いわゆる「ゼルダ」型のアクションRPGですが、ユニークなのが「ゲームが進むにつれて、システムやグラフィックも進化していく」という点。最初はゲームボーイ風のモノクロ画面ですが、やがてカラーになり、フィールドに奥行きができ、最後にはすべて3Dになってしまいます(まだ先があるかも)。バトルシステムも、ゲームの進化に伴いアクションになったり、「ファイナルファンタジー」風のコマンドバトルになったりするようです。 まだ処女作ながら、映像を見ただけでもうかがえるレベルの高さ。気になってShiro Gamesのサイトを見てみたら、立ち上げ人の1人が元NCsoft EuropeのChief Operating Officerで、「Dark Age of Camelo
林博史『戦後平和主義を問い直す―戦犯裁判、憲法九条、 東アジア関係をめぐって』かもがわ出版、2008年 「はじめに」より 2008年8月にこの本を刊行しました。そのなかの「はじめに」の一部をここに紹介します。ちょうど映画「私は貝になりたい」の公開が始めるときであり、それに関する個所を掲載します。これほどでたらめな映画が、あたかも良心的な映画であるかのように何十年にもわたってくりかえし制作、放映されているところに、日本の戦後平和主義の欠陥が象徴的に示されているように思います。できれば、この本全体を読んでいただければ幸いです。 2008.11.15記 はじめに 一九四五年の敗戦を契機として、その後、今日にいたるまで日本は自らが戦争を仕掛けることをしてこなかったですし、直接の戦闘に参加することもしてきませんでした。残念ながら後者については事実上、戦争に参加していると言えるのですが、直接、武
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