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ブックマーク / dokuhebi.hatenablog.jp (23)

  • 曽野綾子の「誤字」は最新号(次号)で、こっそり訂正されていた・・・(続)。 - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

    以下は、大江健三郎『沖縄ノート』裁判をめぐる曽野綾子対談が掲載された某雑誌の「11/28」号の記事と、次号の「12/12」号の記事。二つとも曽野綾子の同じ発言部分だが、上の文章は、最初の対談での曽野綾子の発言で、下は次号の文章で、最初の曽野綾子発言を、井沢元彦が「引用」した文章であるが、曽野綾子による「罪の巨魁」という誤字・誤読部分が、井沢の文章の中の引用では、見事に修正されて、「罪の巨塊」に書き改められている。井沢が、原典に当たった上で曽野綾子の誤字を訂正し、正しい漢字を使ったのではなく、おそらく編集部が、一連の「誤字訂正」を徹底化したからだろう。しかし、「誤字訂正」に関する釈明や注意書きは、何処にもない。それにしても、不思議なのは、編集部から「誤字・誤読」の指摘を受けただろうに、まったく黙殺し、無視している曽野綾子の態度である。さらに、当ブログの下の方に、そもそもの誤字・誤読の原点であ

    曽野綾子の「誤字」は最新号(次号)で、こっそり訂正されていた・・・(続)。 - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』
    Wallerstein
    Wallerstein 2007/12/06
    こっそり訂正する気持ちは分かる(笑)。
  • 曽野綾子の「誤字」は今月号(一月号)にも・・・。 - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

    曽野綾子が、大江健三郎の『沖縄ノート』における「罪の巨塊」という言葉を、しばしば「罪の巨魁」と誤記し誤読していることは明らかだが、その一つの証拠に、曽野綾子の対談やエッセイには、「罪の巨塊」と書くべきところを、「罪の巨魁」と誤記するという、いわゆる誤字・誤植が氾濫しているが、それは曽野綾子だけではなく、曽野綾子の「誤字・誤読」を鵜呑みにし孫引きしている曽野綾子応援団の面々の文章も同じである。僕が、誤字・誤植を指摘して以来、雑誌などの誤字・誤植が急速に減少しているが、曽野綾子自身の文章の中に、いまだに誤字・誤植が、放置されているのは、どうしたわけだろう。これは、印刷ミスや校正ミスというレベルの問題ではないだろう。雑誌や新聞に掲載される文章は、執筆者人が(たとえば曽野綾子が……)「ゲラ校正」をするはずだから明らかに、これは執筆者人が、この誤字・誤植に気付かないか、あるいは誤字・誤植を堂々と

    曽野綾子の「誤字」は今月号(一月号)にも・・・。 - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』
    Wallerstein
    Wallerstein 2007/12/05
    原典を当たるのは物を論ずるものとしての最低限の姿勢のはずだ。
  • 曽野綾子の「沖縄差別発言」を総括する。 - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

    佐藤優が、「月刊日」12月号掲載の論文「吉野、加名生詣でと鎮魂」で、沖縄集団自決問題に関連して、「沖縄の人々は、われわれの同胞である……」「左右の対立という瑣末なレベルに拘泥して、同朋意識を失ってはいけない……」「今、右派の沖縄に対する見方が、朝鮮や中国に対する見方と同じになっている……」「沖縄に外国に対するように処すれば、これは沖縄の土からの独立運動さえ誘発しかねない……」「現に、沖縄での集会の中心にいたのは、沖縄における保守の人々であり、自民党だった……」「まさに沖縄にける右翼の人々から、内地への不満がたくさん出ている。そしてこうした状況を見越して、中国が策動しています。彼らは沖縄にやつてきては、『こちらにも歴史認識の問題があるようですね、どうです、私たちの気持ちが分かるでしょう』と揺さぶりをかけてきている……」というような、かなり重大な発言をしているが、曽野綾子やその仲間達の発言

    曽野綾子の「沖縄差別発言」を総括する。 - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』
    Wallerstein
    Wallerstein 2007/12/04
    渡部夫人曰く「主人はお母さまや二人のお姉さまから宝物のように大事に育てられてきて、もうほんとにボタンも絶対に自分では掛けなかったそうですね。」。人間の品格を期待するだけ以下ry