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ブックマーク / le-matin.hatenadiary.org (2)

  • 知らないから勉強します、について - どんな懐かしさをおぼえるとしても

    以下、単なる個人的偏見なので、「俺の意見は違う」という人にはあらかじめ謝っておく。すみません。 というわけで好きなことを書くが、またしても表題のようなことを書いて、歴史修正主義について語っている人がいるらしい。で、それについてこの記事「“単に『知らないから勉強します』”はなぜ『知的に極めて真っ当』ではないか」が書かれている。正直なところ、言いたいことはわからないではないが、ちょっと方向がズレているような気がする。 というか、単に「そういう奴は情けないから相手にしない」「出直してこい」で良いのではないかと。 いうまでもなく、無知であることが恥なのではないし、「勉強する」という宣言がまっとうでないのでもない。問題はそこにはない。もちろん、無知を装って偏見を垂れ流すのは恥ずべきことだが、ここで問題化すべきなのはそういうことでもないような気がする。 「知りません」「勉強している最中です」というのは

    知らないから勉強します、について - どんな懐かしさをおぼえるとしても
    Wallerstein
    Wallerstein 2009/03/26
    「不勉強であることを一つの立場として利用したりすべきではない。」
  • ポストモダン、ポストモダン… - どんな懐かしさをおぼえるとしても

    よせばいいのに、ポストモダン系の人が南京大虐殺とかの歴史修正主義マターに知的相対主義で突撃して、案の定反発くらったのに定型的に逆ギレして、プチサイエンスウォーズみたいになっているという話。 (ひとつの典型として、ここhttp://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20081203/1228313553) 僕は自分でポストモダニストのつもりだけど、こういう話を見ると情けなくなる。そもそも歴史修正主義は知的相対主義の悪しき応用なのだから、そこに相対主義を持ち出して何かの解毒剤になるわけがないじゃないか。空気を読めよ。 もちろん、気持はわからないではないけれども、わざわざ中毒の現場で刺身をってみせるようなもので、どんなに弁解しても揶揄的な意図が含まれていることは否定のしようがない。デリダにせよ、フーコーにせよ、彼らはそういう態度は取らなかったし、つねに明確な戦略性を持っていたと

    ポストモダン、ポストモダン… - どんな懐かしさをおぼえるとしても
    Wallerstein
    Wallerstein 2008/12/05
    「歴史修正主義は知的相対主義の悪き応用なのだから、そこに相対主義を持ち出して何かの解毒剤になるわけがないじゃないか」
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