東京都の猪瀬直樹知事が2020年夏季五輪招致を争うイスタンブール(トルコ)を批判する趣旨の失言をした問題で、同知事は2日の定例会見で「近々、イスラムの方やトルコの友人らと話をするつもり」と述べ、発言の真意などを直接、トルコ側の関係者に説明する考えを示した。この日の会見は失言問題に質問が集中。定例会見としては異例の1時間を超え、猪瀬知事が「もう終わった話だ」「同じ話をしても仕方ない」などと声を荒
東京都の猪瀬直樹知事が2020年夏季五輪招致を争うイスタンブール(トルコ)を批判する趣旨の失言をした問題で、同知事は2日の定例会見で「近々、イスラムの方やトルコの友人らと話をするつもり」と述べ、発言の真意などを直接、トルコ側の関係者に説明する考えを示した。この日の会見は失言問題に質問が集中。定例会見としては異例の1時間を超え、猪瀬知事が「もう終わった話だ」「同じ話をしても仕方ない」などと声を荒
在日韓国・朝鮮人、朝鮮学校の問題で話題になる関西学院大学の金明秀教授なのだが、その論証には色々と問題点があるのだが、特に歴史の記述については問題が少なからずあるように思える。 日本に流入した在日韓国・朝鮮人の実態は経済/政治難民であり、しかも暴動を頻繁に起こしていた集団であった。在日韓国・朝鮮人にとって忘れ去りたい歴史であっても、歴史は歴史だ。差別の是非はともかく、歴史修正否認主義的な態度は問題だ。 1. 在日韓国・朝鮮人は平和的な集団ではなかった 例えば『朝鮮学校「無償化」除外問題Q&A』の記述を見てみると、朝鮮学校の印象を良くしようと、真実に触れない作文になっている。 政府は戦後の混乱期に在日コリアンへの警戒心を強めたようで、1948年に入ると朝鮮学校を解体するべく様々な策を講じました。「阪神教育闘争」と呼ばれる激しい抵抗運動を暴力的に退け、ついに全校を強制的に閉鎖するところまで追い込
韓国や在日韓国・朝鮮人の“歴史認識”には困惑する事が多い。しかし、彼らの主張の是非を判断する材料に事欠く人も多いであろう。中国史や欧州史のファンはいても、朝鮮半島史は人気では無いからだ。そんな知識の狭間を埋めてくれるのが、呉善花氏の「韓国併合への道 完全版」だ。 第1章から第10章までが、朝鮮半島から見た韓国併合までの政治史になっており、日清、日露戦争の経緯が描かれている。中華思想をより所とする古代社会的な朝鮮社会が、内部分裂を続けることにより、社会体制の刷新が出来ず、独立の維持に失敗していく様子が良く分かる。2012年の加筆により、第11章で併合後の日本統治の実情が示され、第12章で現代の反日感情事情が語られている。 1. そもそも李氏朝鮮はダメな国だった 本書では経済や風俗の描写がほとんど無いのだが、李氏朝鮮は古代社会的な側面を色濃く残し、極端に政府機能が弱かったようだ。奴隷のいる身分
2011年12月の少し古いエントリだが、ツイッターを中心に再び話題になっているようなので*1、批判することにした。とりあえず、「1. 金明秀氏の研究では差別の存在が未確認」という章に対象をしぼる。 ある計量社会学者が他人を罵倒する理由*2 差別問題で金明秀氏はよく論戦を繰り広げているが、意外に差別の立証を重点的に研究しているようではないようだ。 金明秀氏のInternational Journal of Japanese Sociologyに掲載された論文では日本人と在日韓国人の間に有意な社会的な差が無いと指摘している。「年報人間科学」掲載論文でも、過去に職業差別があった一方で、現在では教育水準や職業構成などで大きな差が無いと指摘している。引用やデータ提示無しで「在日韓国・朝鮮人青年たちに門戸を閉ざした日本企業は、依然としてあとを絶たない」と記述し、「分析者である私(金明秀)自身、身近に就
「中国で本屋を覗いてみたよ」にいくつかコメントをもらっているので、回答を兼ねて少し補足してみる。 コメント欄から: 専門書棚、外国小説棚と保守系雑誌が並ぶ棚を比べる! 正直、だいぶ恣意的な写真だなと感じました(笑) そんな比較をしているつもりもないし、そもそも日本の書店の「保守系雑誌が並ぶ棚」と比べられるような棚は、私が行ってみた中国の書店では見つけることができなかった。 例えば、@rieki01さんが撮影してくれた、紀伊國屋書店(東京)の嫌韓・嫌中本コーナーの写真を見て欲しい。こんな排外主義的妄想本の山なんて、世界的にも珍しい恥ずべき代物ではないだろうか。 しかも、売れるから仕方なく置いてある、という状態ではなく、書店側から「日本人がきちんと知っておかなければならない問題です!」と煽っているのだから、さらに救いがない。 まあ、強いて比べられそうな棚といえば、中国の書店にも戦争関係の本の棚
かつて、小泉首相の靖国参拝の時にも言われたことですが、これって早い話が「売国を愛国でごまかす」という面もあるのではないでしょうか?たとえば、先日の朝日新聞にもこのようなインタビュー記事が紙面を大きく割いて載っていました。 朝日新聞 2013年4月27日朝刊 オピニオン 主権と回復:「俺たちは日本人」連帯感くすぐる安上がりな仕掛け 慶応大学教授 片山 杜秀(かたやま もりひで)さん (以下、全部は大変なので初めの1/3ほどの部分だけ引用します) ---4月28日、安倍政権は「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」を開き、天皇、皇后両陛下も出席する。閣僚の靖国神社参拝などと相まって国家主義的な動きが強まっているように見えるが、政治思想史家の片山杜秀さんは「国民国家が崩壊過程にあるからこそ起きる現象だ」と語る。いったいどういうことなのだろうか。--- Q:「主権回復の日」をどうみますか。 「実に
昨日のエントリは「証拠はあるの?」と言いたがる歴史修正主義者や自称中立の面々が、いざ「資料はここにあるよ」と指摘されても自分の目と頭でそれを検討してみることなど99.9%ないという事態をふまえて、いわば挑戦状として書いたものです。さらに、『季刊 戦争責任研究』第58号に掲載された資料を紹介するにあたっては、同号に掲載された資料のさらに一部を紹介しているにすぎないこと、また「一つ一つの「証拠」が明らかにするのはその事象のごく限られた側面」でしかないことをただし書きしておきました。 以上をふまえるなら、昨日のエントリに対する次のような反応は、本来であれば赤面を通り越し顔面から遠赤外線がガンガン放射されて肉や魚を備長炭よりおいしく焼けてしまうくらい恥ずかしいものである、ということになります。 ・『季刊 戦争責任研究』第58号の当該ページを自分の目で見てもいないのに噛み付いてみせる ・昨日のエント
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