タグ

2008年6月3日のブックマーク (4件)

  • オープンアプリダウンロードプロキシ

  • にせもの流 - 遥か彼方の彼方から

    戯言夢なんて若いうちに諦めろ「俺、アニメーターになりたい」って。・・その画力で?「経営者になりたい」・・「小説家になりたい」・・「才能を生かしたい」・・今でもいるらしいですよね。そういう人。当は気づいているはずなんですよ。心の奥底では。「一生童貞」「夢は叶わない」って。その事実を見たくないんですよ。防衛機制ですね。〜(略)〜来なら思春期の内に自分が社会のどの辺にポジショニング取るべきか学ぶはずなんです。自己の理想像と現実との解離に悩まされるんです。ひどい人になるともう死ぬ殺す位のレベルで。勇気がないから童貞とか・・・ これはグサリと来る。 才能が無いという自覚僕を含む多くの人には才能なんてものはありません。ないです。もちろん才能をどう定義するかは人によって違いますけど、多くの人は普通の域を超えることは出来ないです。みんながみんな有名になったり夢を叶えたり出来ないんですから、まあ当然のこ

    Xenos
    Xenos 2008/06/03
  • 山月記

    次の文章のリンク部分をクリックしてください。問題や解説が出ます。 山月記                     中島 敦 隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せ られたが、性、狷介、自ら恃むところすこぶる厚く、賎吏に甘んずるを潔しとしなかっ た。いくばくもなく官を退いた後は、故山、カク略に帰臥し、人と交わりを絶って、ひた すら詩作に耽った。下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家として の名を死後百年に遺そうとしたのである。しかし、文名は容易に揚がらず、生活は日を おうて苦しくなる。李徴はようやく焦躁に駆られてきた。このころからその容貌も峭刻 となり、肉落ち骨秀で、眼光のみいたずらに炯々として、かつて進士に登第したころの 豊頬の美少年のおもかげは、どこに求めようもない。数年の後、貧窮に堪えず、子の 衣のためについに節を屈して、再び東

  • * 山月記

    李徴は非常に優秀だった。当時超難関であった管理登用試験に合格し、役人になった。今で言うなら、東大法学部に現役合格して、国家公務員になったようなものだ。将来は高級官僚のポストが約束されている。今の入試は学力だけの試験だか、当時の試験は学科だけでなく詩も作らなければならないので、単に暗記力だけに秀でた人物ではない。芸術家としての才能も要求される。 しかし、李徴の性格は最悪だった。過剰なほどの自信家で人づきあいも悪かった。年功序列、いくら才能があってもそれに見合った仕事や出世ができない公務員に我慢できずに退職する。そんなことは先刻十分承知のはずであるが、今と同じで単なるエリートコースを進みたかっただけで、その仕事の内容まで考えずに職業選択をしたのであろう。役人になってみて初めて現実に直面したのだ。そこで、李徴は考えた。実力で勝負できる詩人になろう。これも、会社勤めを嫌ってミュージシャンになろうと