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ブックマーク / lets-skeptic.hateblo.jp (13)

  • 「違い」を把握していないのならば「似ている」という印象に大きな意味はない - 僕と懐疑の関係

    「謝罪します。ニセ科学批判はネット右翼と同じでした - 今日の雑談」というエントリを読んだ。ニセ科学批判はよく「魔女狩り」とかその他色々なものに「似ている」と指摘されたりする。でも、タイトル通り「違い」をきちんと認識していない人が「似ている」と指摘したところで、そこに意味を見出すのは難しい。 人は、自分が新たに知ったことであっても、なるべく既にある知識で解釈しようという性質をもっている。だから、何かと何かの似ているところを見つけるのは比較的得意で、似ているところを探す努力はあまり必要ない*1。これは、認知的な労力の軽減のためだ*2。 ある程度年齢を重ねると、アイドルの顔の区別がつかなくなるなんて話はよく聞くし、私の親の世代の人の会話を聞いていると、新しく会った人の多くが「近所の誰かに似ている人」になっちゃうようだ*3。たぶん、これも認知的な労力を軽減するためだ*4。 それから、人間の基

    「違い」を把握していないのならば「似ている」という印象に大きな意味はない - 僕と懐疑の関係
  • 助産師会はあんまり大丈夫じゃないかも - 僕と懐疑の関係

    「助産師会、大丈夫か | 医療報道を斬る - 楽天ブログ」という記事を読んだ。「千葉市の助産師会がホメオパシーの専門家を呼んで研修会をした」ということに触れられている。 たぶん、「これはひどい」と思う人も多いだろうし、私もそう思うんだけど、これが氷山の一角に過ぎないのも事実。 例えば、神奈川助産師会のWebページの「神奈川県助産師会 | トップ」というページを見てもらいたい。今までの研修会一覧を見ることができる。 ここからは研修の詳細は分からないけれど、「ハローベビーかながわ」主催のものを見ると、この方面に詳しい人なら危うい雰囲気を存分に感じてもらえるものと思う。 元記事は千葉だし、上でリンクしたのは神奈川ということで、首都圏の話になるけど、地方でも助産師がニセ科学や自然信仰をどんどん導入している話を聞くことができる。 神奈川助産師会の件については、日助産師会に意見を送ったのだけど、今の

    助産師会はあんまり大丈夫じゃないかも - 僕と懐疑の関係
  • ホメオパシーFAQ - 僕と懐疑の関係

    最近なにかと問題だと思っているホメオパシー(同種療法)について、実際にあった支持者との議論からFAQになりそうなものを抜き出して、気ままに更新していこうと思います。間違いなどがありましたらご指摘ください。 懐疑論者には以下のページがお勧めです。参考にさせて頂いてます。 Skeptic's Wikiの「ホメオパシー」の項目 http://sp-file.qee.jp/cgi-bin/wiki/wiki.cgi?page=%A5%DB%A5%E1%A5%AA%A5%D1%A5%B7%A1%BC 1. 海外では保険の対象になっているというし、国がホメオパシーの効果を認めているのでは? 確かにホメオパシーはイギリスで保険の対象となっており、ポピュラーな代替療法です。しかし、その保険適用となるイギリスでも、国民医療保健サービス(NHS)の見解はホメオパシーの効果に否定的です*1。 また、ドイツでも保

    ホメオパシーFAQ - 僕と懐疑の関係
    YAOsan
    YAOsan 2009/01/24
  • ニセ科学批判者曰く「うわ、そんなことありえないよ」 - 僕と懐疑の関係

    どう「ありえない」のか 僕らが「ありえない」というとき、それは論理的にありえない*1とか、物理的にありえない*2なんて事をいってるんじゃない。ただ、それを「妥当な結論である」と判断するなんてありえないと言っているのだ。 だから、「科学は絶対じゃない」とか、「自然の理解は概念スキーマによっていてうんぬん」なんていったような、理解の根に迫る哲学的でメタな問題提起はあんまり意味がない。必要なのは、その主張が十分に信頼できる又は妥当であるといえる根拠、ベタな根拠を示すことだ。 絶対主義と実在論は違う それでも「ありえない」なんて決め付けには反発を感じる人もいるだろう。「私は、そうであると主張したいのではない。ありえないという否定の仕方を否定しているのだ。」みたいな感じで。「ありえない」なんて話を聞いて、「あなたは自分が間違っている可能性を否定するのか」とか、「そんなことを言い切るのは科学絶対主義

    ニセ科学批判者曰く「うわ、そんなことありえないよ」 - 僕と懐疑の関係
  • 責任を果たさなければならないのは全国民だ - 僕と懐疑の関係

    「404 Blog Not Found:「科学者よ、責任を果たせ」 - 書評 - 大槻教授の最終抗議」というエントリを読んだ。 『大槻教授の最終抗議』は読んでいないが、大槻義彦氏の思想自体はオカルトマニア大槻ケンヂ氏との共著『超常事件簿―オカルトファイル』でも出ていた。それは、懐疑論者としても共感するところの多いものだった*1。 しかし、問題意識・熱意・思想だけではダメなのだ。私たちは「妥当な知識」と「妥当な理解」をベースとして、問題に対処しなければならない。 大槻教授はオカルトバスターのような扱いを受けているにもかかわらず、「アポロ月面着陸捏造説」に組するという、酷い愚行を犯している*2。さらには、ミステリーサークルやUFOについても、信奉者と大差ない酷いレベルの自説を提唱している。ちょっと前には「ムペンバ効果」への言及があまりに非科学的だと批判されたばかりだ。 「妥当な知識」と「妥当な

    責任を果たさなければならないのは全国民だ - 僕と懐疑の関係
  • 科学者だからといって適切に科学的思考を扱えるわけではない*1 - 僕と懐疑の関係

    たぶん、科学者は科学者というぐらいなんだから、科学的思考を扱う能力は必須だろうと考える人が多いと思う。でも、現実はそうでもない*1。 研究にはある程度の決まりきった手順がある*2。それに従うと、科学的思考なんてのをあまり意識しないでまともな結果を出せたりする。 特に物理とか化学なんかは典型的で、自らの仮説をわりと直接的な実験で確認することができる。これが、うまい具合に強力な批判機能を発揮するため*3、科学者個人が科学的思考、又は批判的思考をしていなくても、きちんと科学的な検討を経た結果にたどり着いたりもする。 いや、もっと強く言ってもいいかもしれない。科学者でポパーやクーンなんかを読んで、真面目に「科学とは何か?何が科学的だといえるのか?」なんてことを考えて、科学そのものへの理解を深めようとしているのは物好きだけじゃないだろうか。科学者として仕事をする上で必要なわけでもないし。たぶん、ここ

    科学者だからといって適切に科学的思考を扱えるわけではない*1 - 僕と懐疑の関係
  • ニセ科学批判の背景にある思想 - 僕と懐疑の関係

    ニセ科学批判は、その名前から「科学」の活動だと思われているフシがある。私は、「ニセ科学」を「ニセ」「科学」ではなく専門用語だと主張していたのだが、これは別に「ニセ」「科学」でも良いとして、ニセ科学批判を「ニセ科学」「批判」ではなく、「ニセ科学批判」という専門用語だという解釈にした方が疑問が少ない気がしてきた。 ニセ科学批判は主張の真偽が主題ではない ニセ科学批判をするにあたって、科学的知識は豊富な方が好ましいが必須ではない。なぜならば、真っ黒なデタラメを見分けるのに豊富な科学的知識は必要とされないからだ。デタラメだと決められないものがあるのなら、扱わなきゃいいだけの話だ。もちろん、科学哲学の話なんかできなくても構わない。 ニセ科学批判の主題は、あくまで「嘘をばら撒くな」という話である。特に科学を装う主張に注目した批判活動であるため「ニセ科学批判」という言葉が採用されている。つまりは、「そん

    ニセ科学批判の背景にある思想 - 僕と懐疑の関係
  • 江本勝はランディの100万ドルチャレンジから逃げていた - 僕と懐疑の関係

    21日のエントリ*1のコメントに氷村さんという方からコメントが付いた。氷村さんの情報によれば江氏の日記で、江氏が100万ドルチャレンジの事を知っていることが触れられているというのだ。 というわけで日記を確認してみると、確かに江勝氏は100万ドルチャレンジから逃げていることが確認できる。該当箇所は以下のところになる。 【質問】(トージュマンさん、フランス、男、33歳) ジェイムズ・ランディ教育財団(James Randi Educational Foundation)と何か行なってみてはいかがですか? 【回答】 たしかその財団からは数年前にチャレンジがありました。科学的な手法で、私たちがやっている事を証明したら、100万ドルくれると言うものでした。 でも、特にご返事も差し上げていません。 何故ならば、私は水の繊細さを誰よりも良く知っています。ですから、今の科学者の認めるような科学性を持

    江本勝はランディの100万ドルチャレンジから逃げていた - 僕と懐疑の関係
  • 地球温暖化問題の結論だけを3行で説明してみた - 僕と懐疑の関係

    正直、地球温暖化問題は議論が多すぎてわかりにくい。というわけで、今のところ私が結論と思うところだけを書いてみた。 地球温暖化してるけどアル・ゴアがいうような激しいことは起こらない 京都議定書以上のことをしても金ばっかりかかって効果は殆どない よりよい未来を作るためにもっと適切な方法があるんじゃないの 1. 地球温暖化してるけどアル・ゴアがいうような激しいことは起こらない 地球は温暖化しているし、海面上昇もしている。そして、それは今の時点では工業化で化石燃料を大量に消費したという人為的な影響も無視できないぐらい大きいといえる。そして温暖化による被害はある。 でも、アル・ゴアが言うように温暖化が原因で海面が6mも7mも上昇して平地が無くなり未曾有の洪水が起こるなんていうことはまずあり得ないし、巨大ハリケーンのような自然災害が強力になりバンバン起こるという根拠もない。 私たちは、既に何度かの温度

    地球温暖化問題の結論だけを3行で説明してみた - 僕と懐疑の関係
  • 「いじめ」とか「いじり」とか - 僕と懐疑の関係

    いじめ/ファシズム/引きつった笑い - 過ぎ去ろうとしない過去」あたりの話。 「ニコニコ大会議*1」で、話者のストリーミングビデオにリアルタイムに罵倒語が書かれたということで、それは「いじめ」と同じだろう、いや違うという議論が起こっているようだ。 「悪意はないんだからいいじゃないか。」とか、「人は問題を感じていないのだから問題じゃない。」とかいう「いじめじゃない派」の話を聞くと、水からの伝言と道徳の問題を思い浮かべてしまうのは、きっとニセ科学批判脳。 個人的には、罵倒語を書き込むということに嫌悪感を感じるし、ニセ科学批判脳が勝手に水からの伝言と道徳の問題に結び付けてしまったので、「いじめじゃない派」に反発を感じる。 しかし、「さぶい」とか「空気よめ」とかいって、正当化する必要性すら感じない人*2は、正当化のための議論をしている「いじめじゃない派」の人よりも問題を孕んでいるのかもしれない

    「いじめ」とか「いじり」とか - 僕と懐疑の関係
    YAOsan
    YAOsan 2008/07/11
  • 信奉者の説得について - 僕と懐疑の関係

    信奉者の説得について、色々な意見が出ています。なかなか高尚な意見が多いなというのが正直なところです。 poohさんエラー:So-netブログのコメント欄に端を発し、TAKESANさんのところ(説得という事: Interdisciplinary)や、id:dlitさんのところ(「ビリーバーは説得できない」について - 思索の海)でもエントリがあがっている。 相手に直接伝えることの問題 正直な話、問題はもっと下世話なところにあると思います。私が考える「信奉者は説得できない」という発言の問題は、批判者がそれを明言すること自体にあります。「あなたはバカなので説得できるわけありませんよね。*1」と言われた時に、誰がその人の話をひとまず聞いてみようと思うでしょうか?*2 いや、もちろん聞く人もいるでしょう。しかし、その人は高い確率で「批判の反論」又は「自身の正当化」という強い動機付けができています。そ

    信奉者の説得について - 僕と懐疑の関係
    YAOsan
    YAOsan 2008/06/19
  • 使い方次第で批判的思考は良くも悪くもなる - 僕と懐疑の関係

    的に「批判的思考をしよう!」というベースがあるわけですが、その上で批判的思考の限界の認識もあった方が良いと思います。 批判的思考と論理的思考との違い 批判的思考は、単純に論理的思考と一致しません。論理は理想的な状態で前提から必然的に導かれる結論を持ちます。しかし、世の中はなんでもかんでも正確な答えが存在する問題ばかりではありません。多くの場面では前提すらあやふやだったりします。 そのため、批判的思考は、得ることのできるなるべく多くの前提から、小さな論理飛躍を伴いながら進み、結論に至ります。「前提が全てクリアではない」「論理的飛躍が必ずある」ということが重要な意味を持ちます。 これは批判的思考の限界ではありますが、欠点ではありません。現実社会では、全ての明確な前提と、論理飛躍の無い議論をするには、殆どの問題で万能な能力が必要です。つまりそんなことをするのは不可能です。万能でない人間がより

    使い方次第で批判的思考は良くも悪くもなる - 僕と懐疑の関係
    YAOsan
    YAOsan 2008/06/09
  • 批判的思考(クリティカル・シンキング)とは何か - 僕と懐疑の関係

    はじめに 理性的な人がなぜ信奉者になってしまうのか?という問題については、心理学的なアプローチが色々あります。それはそれで非常に興味深く好きな分野なので触れたいのですが、エントリの流れに従うと、先に別の視点から触れたい内容があります。 ところが、それは批判的思考の限界*1の話でもあります。 批判的思考自体がそんなに当たり前の話題ではないところに、いきなり批判的思考の限界の話などを持ってきても、誤解を生むだけだと思ったので、軽く批判的思考自体に触れておきます。 尚、私は専門家ではないため、厳密な話ではないことを予めご了承ください。 「批判的思考」の定義 さて、まずは定義を見ておくのがいいのかもしれません。といったところで、最初の躓きです。実は「批判的思考」には決定版の定義がありません。 批判的思考の偉い人は以下のような感じで定義していますが、同時に厳密な定義ではなく、ゆるい定義のままにしてお

    批判的思考(クリティカル・シンキング)とは何か - 僕と懐疑の関係
    YAOsan
    YAOsan 2008/06/03
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