短期メモと近代、近代化に関するYOWのブックマーク (5)

  • 中共宗教政策読書会の日程表 | 村田雄二郎研究室

    場所は、東京大学駒場キャンパス18号館 2階の学生ラウンジ。変更の可能性もあり。 4/12(火)18:30- 参加者:広池、安藤、緒方、若松 読書会の立ち上げ 4/22(金)15:00- 参加者:広池、村上、緒方、斉、若松(、安藤、宮田) (1) Feuchtwang, Stephan. 2000 "Religion as Resistance" in Perry, Elizabeth J. and Selden, Mark eds. 2000 Chinese Society: Change, Conflict and Resistance. Routledge. レジュメ担当:広池真一 (2) 広池真一「中国の共産主義における「宗教」概念:1960年代牙含章による議論を 中心に」『宗教研究』336号、2003年、pp.27-50. 5/6(金)14:00- 参加者:広池、緒方、安藤、若松

    中共宗教政策読書会の日程表 | 村田雄二郎研究室
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    YOW 2007/03/31
    >中国共産党の宗教政策の公式見解「19号文献」1982年:毛主義変更/マ・レ主義原典(宗教部分)に対する中共の公式理解『馬克思恩格斯列寧宗教問題著作選編及講解』1999年 <関連:d:id:YOW:20060124
  • http://www.u-air.net/workshop/board/teshima2000.htm

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    YOW 2006/12/07
    >モリスの「手仕事の復活」:生産されるモノと消費者の求めるモノとの量と質とのミスマッチによる浪費がある。モリスは、労働には本来「よろこび」があるということへの強い関心を見せ、実践による証拠だてを試み
  • フローベール -フローベール・お墓・美術館  果てしのない訳注

    フローベール・お墓・美術館  果てしのない訳注 (1)お墓をめぐる怪しい話 フローベール『紋切型事典』(小倉孝誠訳 岩波文庫 2000)、「アベラール」の項。 「(…) エロイーズとアベラールの墓。もし誰かがその墓はにせものだと証 明したら、「あなたのせいで夢が失せましたよ!」ということ。」 伝説的なペール・ラシェーズ墓地のふたりの墓がにせものとはどういうことか。しかし訳書にはなにも注がついていない。 私はこの墓をネット上で拝んだだけだし、もやもやしている部分も多いが、調べてわかったことだけ並べてみる。(パリの名士お墓捜しにはFIND A GRAVEが便利)  http://www.findagrave.com/index.html パラクレ 名高い事件で「私の体のある部分」を切断されたあと、アベラールは落ちつき先のサン・ドニの修道院でも、風紀改革をやろうとしたり修道院

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    YOW 2006/09/30
    >バタイユは近代的な美術館という用語の最初の例が「1793年フランスで国民公会の手によって設立されたらしい」と話を切り出す。「だとすれば、現代の美術館の起源は、ギロチンの発明と結びついていることになる」
  • fenestrae - ジジェク@ユマニテ(スラヴォイ・ジジェク-資本主義の論理は自由の制限を導く)

    ジジェクの1月4日づけユマニテ紙でのインタビュー スラヴォイ・ジジェク−−資主義の論理は自由の制限を導く Slavoj Zizek : « La logique du capitalisme conduit à la limitation des libertés » L'Humanité : Article paru dans l'édition du 4 janvier 2006 ジジェクについての最初の短い紹介文を省いて、インタビューの内容を訳します。 −−−−−−−− あなたは、フランスの欧州憲についての国民投票の結果は有意義なものであり、それは、「われわれに、その専門的知識を追認する可能性のみを与える新しエリート階級」の脅迫に対抗して「そもそも選択するという選択肢がある」ことを表明したことにあると評価しているわけだが、どんなふうにして、EUの政策は、選択を人から奪う装置になって

    fenestrae - ジジェク@ユマニテ(スラヴォイ・ジジェク-資本主義の論理は自由の制限を導く)
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    YOW 2006/09/05
    ジジェクのネグリ、ハートの批判述べたインタビューの邦訳。インタビューだけからは何とも微妙。なので、本で読む。
  • 抵抗としての怠惰1 アフリカ脳 - 猿虎日記

    1961年に出版された『地に呪われたる者』(鈴木道彦・浦野衣子訳、みすず書房)において、フランツ・ファノンはこのように言っている。 パリあるいはエクスで、アルジェあるいは、バス=テールで、幾度われわれは見たことか、黒人の怠惰paresse と言われ、アルジェリア人の、ヴェトナム人の怠惰と言われるものに、植民地原住民 colonisé が激しく抗議する姿を。にもかかわらず、植民地体制のもとで仕事熱心な自営農民(フェラー)、休息を拒むニグロこそ、まさしく病理学的個性にすぎないということは、まるで真実に反しているのだろうか。植民地原住民の怠惰とは、植民地機構に対する意識的サボタージュだ。それは、生物学的にみればみごとな自己防衛の一方式であり、また所詮は、国全体に及ぶ占領者の支配に、一定の遅延をもたらすものなのだ。 (邦訳291-2頁) このように、ファノンは「抵抗」「自己防衛」としての「怠惰」に

    抵抗としての怠惰1 アフリカ脳 - 猿虎日記
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    YOW 2006/04/11
    →19世紀にあった人類学で「熱帯気候の人間は怠惰/寒帯の人間には規律性がある」、、、ほらあれ、なんだったっけ、/追記:それは、国家主権論で有名なフランスのボダン。
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