2010年1月30日のブックマーク (5件)

  • 車輪の再発明 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "車輪の再発明" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2009年4月) 車輪の再発明(しゃりんのさいはつめい、英: reinventing the wheel)とは、「広く受け入れられ確立されている技術や解決法を(知らずに、または意図的に無視して)再び一から作ること」を指すための慣用句。誰でも直観的にその意味が分かるように、車輪という誰でも知っていて古くから広く使われている既存の技術を比喩の題材として使った慣用表現で、世界中で使われている。 概要[編集] 古くから皆に使われている技術や技法をそのまま模倣して利用すれば、時間や労力を

    車輪の再発明 - Wikipedia
    YOW
    YOW 2010/01/30
    >主にIT業界のSEやプログラマの間で良く用いられる慣用句。これらの業界では、ライブラリや先行事例があるにも拘らず、様々な理由でそれを利用せず、コードやプログラミング技法を再び一から作ってしまう事が多い。
  • 有限オートマトン - Wikipedia

    UMLステートマシン[編集] 統一モデリング言語(UML)には状態機械(ステートマシン)を記述するための豊富な意味論と記法がある。UMLの状態遷移図は従来の有限オートマトンの主な利点を踏襲しつつ、その欠点を克服している。大きな拡張としては、状態の階層化や直交状態の導入があり、動作の記法も拡張されている。ミーリ・マシンもムーア・マシンも記述できる。ミーリ・マシンのように状態だけでなく、イベント(入力)をきっかけとして遷移するようにも書けるし、ムーア・マシンのように遷移ではなく状態と開始動作や終了動作を対応付けることもできる。 SDLステートマシン[編集] 仕様及び記述言語(SDL) はITUの標準規格であり、遷移の際の以下のような動作を表す記号を定義している。 イベント送信 イベント受信 タイマ開始 タイマキャンセル 別の並行動作するステートマシンを開始 判断 SDLには、Abstract

    有限オートマトン - Wikipedia
    YOW
    YOW 2010/01/30
    >有限個の状態と遷移と動作の組み合わせからなる「ふるまいのモデル」
  • Amazon.co.jp: 天使はなぜ堕落するのか―中世哲学の興亡: 八木雄二: 本

    Amazon.co.jp: 天使はなぜ堕落するのか―中世哲学の興亡: 八木雄二: 本
  • 『文芸批評家のためのルドロジー入門――ゲーム定義のパースペクティヴ』

    2009年 1月30日 高橋志行(godandgolem.inc*at*gmail.com) スパム対策のために@を *at* と表記しています。メール送信時には、ここを半角 @ に直して宛先として下さい。 1.はじめに――ルドロジーとは何か 論稿の目的は、読者諸氏に「ルドロジー」と呼ばれる新たな学問の潮流を紹介しつつ、ゲームを語ることばについての一定の視座を提供することである。 まずは「ルドロジー」について説明したい。これは、フィンランドの研究者であるゴンザロ・フラスカ(Frasca 1999)が提唱した、遊びやゲームを専門に取り扱う学問の潮流を指す。20世紀末まで、遊びやゲームをめぐる人文学的な考察の多くは、主に文芸批評、つまり物語論(ナラトロジー)的な立場から行われることが多かった。それに対してフラスカは、あくまでゲーム「それ自体独立したもの」として研究するアプローチ(Lu

    YOW
    YOW 2010/01/30
    >遊びやゲームをめぐる人文学的な考察の多くは、主に文芸批評、つまり物語論的な立場から行われるが、それに対しフィンランドの研究者ゴンザロ・フラスカはあくまでゲーム「それ自体独立したもの」として研究。
  • 東京大学教育学部教育学特殊講義「統治と生の技法」 - shinichiroinaba's blog

    今日でおしまい。後でなんかまとめを書くかも。 (承前) このように個人−自然人ではなくむしろ法人まで含めた主体−身体一般に照準する統治として新自由主義が捉えられているとしたら、それは自然人や家族に照準する古典的自由主義に比べてもなお一層、人を主体(ホモ・エコノミクス)へと規律訓練する権力であるというよりは、すでにホモ・エコノミクスである主体を馴致し操作しようとする権力として捉えられるべきであろう。 *フーコー権力論の「現在」 ところで、十年ほど前、フーコーの講義についての情報がまだ断片的にしかなかった頃、つまりは主として公刊された著作を念頭において、ぼくはこう書いたことがある。 フーコーの権力概念が人を惹きつける理由のひとつは、不可視の、意識されず、了解されないままに作動するものとしての権力、(中略)「語られざる禁止」の水準をとらえようとしているところにある。しかしそのような、隠れたものと

    東京大学教育学部教育学特殊講義「統治と生の技法」 - shinichiroinaba's blog