現状維持パワーから現状変更パワーへ 2月の政変以降のウクライナ、特に東部情勢の泥沼化は痛ましい限りだが、ウクライナ情勢が示すもう一つの深刻な問題は、ロシアの対外行動に重大な変化が起きているということである。この点で私は、今回のロシアの態度を2008年の南オセチア紛争との類推で解釈する人々とは異なる立場をとる。南オセチア紛争は、南オセチアやロシア側の挑発というファクターはあったにせよ、直接には、ソ連崩壊直後から事実上の独立状態にあった南オセチアをグルジア(サアカシュヴィリ政権)が武力で統合しようとしたことで始まっており、ロシアの介入には現状維持のための必要悪という面があった 。そもそも2000年代後半のロシアは、「主権民主主義」というやや面妖な概念によっても表現されていたように、米国ブッシュ政権の野心的な世界戦略に対し、主権国家体制を保守しようとする側にいた。 ところが今回、ロシアは驚くほど
(1)戒厳令実施までのソ連政治局の動向 1980年までのポーランド経済情勢の悪化は政府と「連帯」の対立を招き、この対立の構造はヤルゼルスキ政権による1981年12月の戒厳令の導入につながった。すでにソ連側は80年5月の段階で、グダンスクにおける不穏な動向をキャッチし、グダンスク駐在ソ連領事からの報告を党中央委員会に上げている (30) 。ポーランドでの反政府運動が活発となる80年8月には、ソ連政治局内にポーランド問題を討議する小委員会が発足(詳細は次節参照)、ポーランド情勢への対応策の検討に入った (31) 。 10月29日には、モスクワを訪問するポーランド統一労働者党第一書記カニアとの会談のための打ち合わせがソ連政治局で開かれているが、すでにここで、戒厳令の可能性を示唆する発言がブレジネフによって行われている (32) 。しかし、カニアはブレジネフとの会談の際、戒厳令の導入は自制するとし
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