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ブックマーク / sportsnavi.yahoo.co.jp (68)

  • ベン・メイブリーの英国談義:マイノリティに非寛容なサッカー界|ニュース|スポーツナビ

  • オシムが挑むボスニアサッカーの改革 - スポーツナビ

    「日人かい? オシムに会いに来たのかね?」 ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボで、おとぎ話の中に迷い込んだかのような錯覚に陥った。その美しい旧市街で笑顔とともに話しかけてきたのは、土産物屋の老婦人だった。この国における日との最大のつながりは、サッカーである。自分たちの英雄が代表チームを率いた国から旅人が来たなら、声をかけたくなるのも当然だろう。イビチャ・オシムの存在は、今もボスニアの人々の誇りであるようだ。 日を離れて3年が経った。だが、オシム氏の思いは、今も日サッカーとともにある。今秋、その名伯楽にサラエボで話をうかがう機会を得た。 部屋に入ってきたオシム氏の手に、離日前には握られていた杖はなかった。190センチを越える長身が、ゆっくりとではあるが確かな足取りで部屋へと入ってきた。イスに腰を下ろすとまず、近くにあった2006年のヤマザキナビスコカップ決勝のプログラムに手

  • 佐藤寿人、偉大なストライカーが持つ特別な才能 - スポーツナビ

    史上初の個人4冠――12月3日に行われたJリーグアウォーズは、さしずめ「寿人祭り」の様相を呈した。フェアプレー個人賞・得点王・ベストイレブン・MVP。そこに優勝・フェアプレー賞高円宮杯とチームで受賞したタイトルを含めれば、なんと6冠。受賞後のミックスゾーンは、まさに「寿人・寿人・寿人」。日サッカー史に「佐藤寿人」という名前を力強く刻みこんだ1日となった。 優勝チーム紹介時を合わせて5度、スピーチ台の前に立った佐藤は、その多くを「感謝」の言葉に費やした。息子のサッカーのために繁盛していたラーメン店をたたみ、転職・転居を決断した父と母。生まれた時から側にいてシュート練習にも付き合ってくれた、双子の兄であり良きライバルでもある佐藤勇人(現ジェフ千葉)。どんな時も背中を押して支え続けてきたサポーター。もちろん、森保一監督やスタッフたちへの感謝も惜しまない。 その中でもすべてのスピーチで特に強

  • 安定したクラブ経営を目指して - スポーツナビ

    入場券販売とスポンサーからの支援が収入の柱となっているプロサッカー。Jリーグはクラブ経営の問題に常に頭を悩ませてきた【Jリーグフォト(株)】 スタート時の10クラブから、わずか20年で40クラブに増えたJリーグ。しかしその20年間は、日の経済にとって未曾有の長期的不況と重なっていた。 プロサッカーは入場券販売とスポンサーからの支援が収入の二柱だ。その柱のひとつがぐらつけば、クラブは即座に存在の危機に立つ。サッカーファンや少年少女の夢を運ぶ存在であるはずのプロサッカーリーグ。その担い手であるそれぞれのクラブの経営をいかに安定したものにできるか――。それはこの20年間、とくにここ10年間、常にJリーグを悩ませてきた問題だった。 Jリーグの初代事務局長、広報室長、理事、常務理事などの立場で2012年3月までリーグ運営に当たってきた佐々木一樹さんに聞く「Jリーグ20年の裏面史」第7回は「安

  • スポーツナビ | サッカー|ニュース|名古屋の守護神・楢崎が語るフットサルとサッカーの違い

    昨今、にわかにスポーツ紙やスポーツニュースを騒がせているフットサル日本代表「SAMURAI5」だが、その主力選手を多く抱える名古屋オーシャンズの拠地・名古屋から熱視線を送る人は多い。それは同じ地元のプロスポーツクラブであるJ1名古屋グランパスの選手も同じで、木暮賢一郎と小川佳純、金崎夢生とポルトガル代表のリカルジーニョは対談の経験があるなど交流もある。フットサル出身選手として紹介されることも多い金崎などは日vs.ブラジルの当日、「フットサルもブラジル代表って強いんですか? テレビはどこの局で放送するんですか?」と興味津々だった。 フットサルに興味があるといえば、守護神・楢崎正剛はさる9月9日の名古屋オーシャンズvs.アグレミーナ浜松を観戦。その時の感想を次のように語ってくれた。 「感想? ゴールキーパーがかわいそう(笑)。手もケガしそうだよね。グローブしないんでしょ? サッカーとは

  • 自国開催のW杯を経て「変化の時代」に - スポーツナビ

    2002年、日サッカー歴史的な年を迎えた。韓国との共同開催ではあったものの、FIFAワールドカップ(W杯)が日で開催され、日中が1カ月間にわたってサッカーの素晴らしさに酔ったのだ。 Jリーグも息を吹き返した。W杯に向け、サッカーの話題が盛り上がるなか、ファンが再びスタジアムに足を向けるようになった。 Jリーグの初代事務局長、広報室長、理事、常務理事などの立場で12年3月までリーグ運営に当たってきた佐々木一樹さんに聞く「Jリーグ20年の裏面史」第6回は「変化の時代」。 1997年に1試合平均の観客動員数が1万131人にまで落ち込み、少し持ち直したものの00年まで1万1000人台が続いたJ1リーグ戦の観客数。しかし01年に1万6548人へと急上昇する。フィリップ・トルシエ監督率いる日本代表が急成長し、この年のFIFAコンフェデレーションズカップ(日韓国の共同開催)で準優勝。W

  • 理念の実現に向けたリーグの拡大 - スポーツナビ

    「2年間で終わった」と言っていいのか、「2年間続いた」と言ったほうが正確なのか。1993年にスタートし、大きな関心を呼んだJリーグの熱狂は、2年目の94年シーズンが始まっても冷めるところを知らなかった。チケットの大半は前売りであっという間に売り切れ、スタジアムはどこも満員だった。 しかし、3年目の95年になると空席が目立ちはじめ、急降下が始まった。初年度の10クラブから毎年2クラブずつ増え、95年には14クラブ。「増えすぎて覚えきれない」というファンの声。「取材しきれないし、載せきれない」というメディアの声。だがJリーグは足を止めなかった……。 Jリーグの初代事務局長、広報室長、理事、常務理事などの立場で2012年3月までリーグ運営に当たってきた佐々木一樹さんに聞く「Jリーグ20年の裏面史」第4回はブームが終わるなか、「拡大」を止めなかった1990年代について。 「1993年にJリーグ

  • 独島問題が韓国サッカーにもたらした影響 - スポーツナビ

    ロンドン五輪の日戦後に「独島は我が領土」のプラカードを掲げたパク・チョンウ。独島問題は韓国内でも大きな波紋を読んでいる【写真:AP/アフロ】 ロンドン五輪のサッカー韓国代表MFパク・チョンウが3位決定戦の日戦後に独島(日名・竹島)の領有権を主張するメッセージを掲げた問題が、韓国内の各方面に飛び火し、大きな波紋を広げている。 中でも最も苦しい立場に追い込まれているのが、大韓サッカー協会(KFA)のチョ・ジュンヨン会長だ。日サッカー協会(JFA)へ送ったいわゆる“謝罪”の英文メールが発端になり、引責の危機に陥ったと国内メディアが一斉に報じている。 各紙のタイトルも目を引く。 「屈辱外交、アジアの盟主の地位を揺るがせた」(スポーツ朝鮮) 「レッドカードをもらったチョ・ジュンヨン会長、早期退陣論が拡散」(スポーツワールド) 韓国の世論は、KFA会長を完全に“国賊”扱いしているが、

  • スポーツナビ | サッカー|Jリーグ|川崎とF・ニッポンのありえないコラボ(1/3)

    甲高いエンジン音を響かせてフォーミュラカーが疾走する。それを見守る18000人あまりの観客はその迫力と非日常的な光景に目を輝かせた。6月30日に行われたJ1第16節、川崎フロンターレvs.ヴィッセル神戸の試合直前。等々力陸上競技場のトラックでの出来事だった。 日サッカー界の頂点に位置するJ1リーグ所属の川崎フロンターレと、日のレース界最高峰のフォーミュラ・ニッポンとのありえないコラボレーションを実現させたのは、川崎が誇るプロモーション部の2人。1人はJリーグ界屈指のアイディアマンとして知られる天野春果氏と、その片腕として数々のイベントを取り仕切ってきた恋塚唯氏である。 「きっかけは、天野とサーキットを運営する会社の担当者さんとの話でした。その後、私がこの案件を任されることになり、1月の中旬から打ち合わせを始めました。2月10日には実際に担当の方とお会いして、そこからフォーミュラ・ニ

  • スポーツナビ | サッカー|Jリーグ|現役引退の藤田俊哉が抱く大きな夢(1/2)

    選手時代はオランダのユトレヒトでもプレー。藤田の海外志向は当時から強かった【写真:PICS UNITED/アフロ】 梅雨時らしい気候となった7月3日午後、都内ホテルの会見場に、濃紺のスーツに身を包んだ元日本代表MF藤田俊哉が現れた。 清水商業時代に高校サッカー選手権優勝を果たし、筑波大学時代には総理大臣杯を制した彼は、94年に入ったジュビロ磐田で華々しい実績を残した。中山雅史(現札幌)や名波浩(現解説者)らとともにJリーグステージ優勝6回、年間制覇3回、98年アジアクラブ選手権優勝と黄金時代を築き、2001年にはJリーグMVPも受賞している。その後はオランダ挑戦を経て、名古屋グランパス、ロアッソ熊、ジェフ千葉でも献身的に働いた。これだけ長い間活躍し、日サッカー界に貢献してきた男が先月末、17年間の現役生活にピリオドを打つことを発表した際には、寂しさを覚えたファンも多かっただろう。「2

  • スポーツナビ | サッカー|Jリーグ|藤田俊哉「幸せなサッカー人生だった」(1/2)

    現役引退を表明した元日本代表MF藤田俊哉が3日、東京都内で記者会見を行い、18年間に渡った現役生活を「当に幸せなサッカー人生」と振り返った。 今後は指導者となるためにS級ライセンス取得を目指す。また、来年6月以降はオランダに渡り、吉田麻也とカレン・ロバートが所属するVVVで指導者としての経験を積む予定となっている。藤田は「指導者としてヨーロッパで勝負したい」と、新たな人生への意気込みを語った。 清水商高から筑波大を経てジュビロ磐田に入団した藤田は、3度のリーグ優勝に貢献。2003年にはオランダ1部リーグのユトレヒトに移籍を果たした。1995年に日本代表に初選出され、24試合に出場して3得点を挙げている。 ■サッカーに感謝することばかり 当に幸せなサッカー人生を送らせてもらったんですが、引退することを決めました。(今後は)オランダのVVVフェンロで将来的に監督を目指そうと思っています

  • スポーツナビ | サッカー|Jリーグ|6億円を稼ぐ=シリーズ東京ヴェルディ(3)(1/2)

    サッカークラブを大八車(だいはちぐるま)に例える。けん引するのはトップチームだ。荷台にはサッカーという名の商品が積まれている。選手の周囲をトレーナーやマネジャーなどのスタッフが忙しく動き回り、時にチームの人員が補充され、離脱者を出しながら大八車は前進する。監督、社長、ゼネラルマネジャーといった責任者は人材や商品を管理し、また進路を定める役割を担っている。三者の協議がうまくいかなければ、迷走は避けられない。 これを後押しするのはサポーターだ。直接的に手を貸す人がいれば、沿道で待ち構えて励ます人、見晴らしの良い高台からひたすら祈りをささげる人がいる。ある人は商品の品質にほれ込み、またある人は楽しげな雰囲気に誘われ、やがて同好の士となる。 大八車の車輪を回し続けるためには、人件費や車体のメンテナンスなど何かと費用がかかる。そこで、資金を調達するのが営業スタッフの仕事だ。スポンサーの協賛を募り

  • スポーツナビ | サッカー|Jリーグ|順風満帆ではなかったプロサッカーの船出(1/2)

    いま振り返ると必然的な流れだったように思える「日サッカーリーグ(1965〜92)」から「Jリーグ(1992〜)」への移行。しかし実際には決してスムーズではなかった。考え方、環境、施設。両者の間で、あらゆるものに大きな隔たりがあったからだ。 「プロリーグ設立準備室」事務局長からJリーグの初代事務局長、広報室長、理事、常務理事などの立場で2012年3月までリーグ運営に当たってきた佐々木一樹さんに聞く「Jリーグ20年の裏面史」の第2回は、1992年、Jリーグ最初の公式戦となった「ヤマザキナビスコカップ」開幕までの裏話をお届けする。 ■大半が企業チームだった日リーグ時代 「プロサッカーリーグ」がスタートすると決まったとき、すでに日サッカーリーグ(JSL)で活躍していた選手のすべてが快哉を叫んだわけではなかった。 当時のJSLは1部12チーム、2部16チーム。28チーム中24が「企業チーム

  • スポーツナビ|サッカー|EURO2012 - 欧州選手権 -|コラム|フランス代表、いまだトラウマは癒えず(1/3)

    6年、もう6年である。レ・ブルー(サッカーフランス代表の愛称)が、大きな国際大会で最後の勝利を挙げて以来、そして最後にグループリーグを突破して以来、6年の月日が過ぎ去った。もちろん現在のフランスは、タイトル候補と呼ばれる位置にはいない。しかし、ミシェル・プラティニやジネディーヌ・ジダンのような並外れた男がいない中、それなりに優秀な選手たちで、ユーロ戦のグループリーグを突破できるチームを築いたということは、喜ぶべきことであるはずだった。 それでも今回、スペインに敗れ準々決勝で敗退したフランスのユーロでの歩みは、『失敗』という印象を色濃く残した。その理由は、大まかに見てふたつある。ひとつは、準々決勝でのフランスが、偉大なスペインと呼ぶにふさわしくない凡庸なプレーをしたことに対し、挑戦者としての意気込みも、これまで築いてきた良い部分も見せることもできないまま敗れたこと。スペインに負けたこと自

  • スポーツナビ | サッカー|Jリーグ|被災地を支え、被災地に支えられるベガルタ仙台(1/2)

    6月16日、J1リーグ戦が再開した。ベガルタ仙台はコンサドーレ札幌に4−1と快勝し首位をキープしている。東日大震災から1年3カ月、今も継続的な被災地支援活動を行うとともに、被災地の「希望の光」となることを目指してきたベガルタ仙台は、昨シーズン以上にサッカーの質を向上させ、快進撃を続けている。被災地支援を通じ、逆に被災地の方々から支えられていることを実感した選手たちは、そのパワーをピッチで存分に表現している。 ■堅守速攻から攻撃力を向上させ、首位を快走するベガルタ 16日の第14節・札幌戦。この日もユアテックスタジアム仙台(以下ユアスタ)にはベガルタサポーターの笑顔が溢れていた。前半は札幌の守備陣が集中しており、なかなかゴールを奪えなかったが、30分過ぎから猛攻を仕掛けたベガルタは、アディショナルタイムに昨シーズンに加入してからいまだユアスタでゴールを決めていなかった柳沢敦のゴールで先制。

  • スポーツナビ|サッカー|EURO2012 - 欧州選手権 -|コラム|今大会も賭け事で団結、スペイン代表の不謹慎(1/2)

    合宿中に金を賭けてサッカーくじなんて不謹慎、というのがわれわれの発想だろう。 だが、それがチームの和に貢献すると信じられているのが、ラ・ロハ(スペイン代表)だ――。 ラ・ロハを裏から表から楽しむために、現地で記者(『ラ・ロハ スペイン代表の秘密』の著者ミゲル・アンヘル・ディアス)を密着させることにした、この特別編。今回は、イタリア戦を前に雰囲気作りに乗り出した監督と選手の様子をレポートする。 ■沈黙の後ブスケッツが…… 「すべてが予定通りだ」とテクニカルチームのスタッフの一人は語った。プジョルとビジャ欠場のショックから脱し、ポーランドの合宿地グニエビノでチームは戦闘モードに入った。マドリーのラス・ロサス連盟合宿所をプジョルとビジャが応援に訪れたことで、選手たちも気持ちの整理がついたようだった。 合宿2日目、昼を終えたデル・ボスケは選手たちのテーブルに近づき言った。「誰が今大会のサッ

  • スポーツナビ|欧州サッカー|イタリア[セリエA]|セリエAを彩った去りゆく名手たち(1/2)

    C・ロナウド(白)と競り合うガットゥーゾ。相手エースをつぶす激しい守備で世界の頂点に登りつめた【Getty Images】 ポゼッション率などの数字が頻繁に語られる昨今のサッカー界にあって、いわゆる数値化が選手の能力を量る指針ともされる今日だが、彼こそまさに文字通りの記録ではなく「記憶に残る選手」。いや、この場合は選手というよりは「男」と書くべきか。そもそも、稿では「去りゆくスターたち」を取り上げるのだが、やはりこの手の話になるとどうしても始まりはやや悲しげで懐古趣味的な言葉が並んだりしそうなので、敢えて下手な前文は書かずにおきたいと思う。 と、いうわけで、まず冒頭に挙げるのはこの男。ジェンナーロ・ガットゥーゾ。 その功績と力のほどは決して数字では表し得ない選手である。あえて昨今の風潮に倣ってデータなるものを調べてみても、パスの成功率にしろシュートの精度にしろ何にしろ実際には数値とし

  • スポーツナビ | サッカー|Jリーグ|元日本代表FW久保竜彦、コーチとして新たなスタート(1/3)

    日本代表FW久保竜彦、コーチとして新たなスタート (1/3) 「“うまくなりたい”子どもの手助けを」 その男の表情からは、鋭さが消えていた。現役時代、ピッチ上で見せた相手を射抜くような瞳ではなく、まるで慈父のような温かさで、サッカー少年たちを見つめていた。 「ええ感じや」「うまいぞ」 何気ない彼の一言が、子どもたちを燃えさせる。打つ、打つ、打つ。とにかく、シュートを子どもたちは打ち続ける。その姿を、久保竜彦コーチはずっと見つめている。 サンフレッチェ広島や横浜F・マリノスで活躍した元日本代表FW、というだけでは表現しきれない記憶に残るストライカー。天空で止まっているかと思わせるほどの跳躍。「面倒臭いから」と後方からのロングボールをそのままボレーでたたき込む野性味と発想力。アフリカ系の選手を思わせる抜群の身体能力と寡黙だが素朴な人柄を、多くのサッカーファンは愛した。 それほどの大選

    YUKI14
    YUKI14 2012/05/08
  • スポーツナビ | サッカー|Jリーグ|天才・遠藤保仁が示す日本サッカーの未来(1/3)

    歩んだキャリアという点においては、国内リーグを経ずにドイツに飛び出した風間八宏は、Jリーグ一筋の遠藤保仁(ガンバ大阪)とは対照的な道を進んだ選手だ。風間は筑波大学を卒業すると、多くの実業団チームからのオファーを断ってドイツのレバークーゼンに入団した。日サッカー界の海外組の先駆け的存在である。 しかし、「絶対的な技術」をベースに、「俯瞰(ふかん)的な視野」を持ってプレーしたゲームメーカーという意味においては、2人には多くの共通点が見られる。特に“天才”と呼ばれた点において――。 解説者として活躍するだけでなく、筑波大学の監督(インタビュー時点/現川崎フロンターレ監督)として日サッカー界に新たな潮流を生み出そうとしている風間の目に、現代表のゲームメーカーはどう映っているのだろうか。 ■「日に1人しかいない」選手 ――早速ですが遠藤保仁のプレーを見て、「おもしろい」と感じるのはどんなと

  • スポーツナビ|欧州サッカー|スペイン[リーガ・エスパニョーラ]|生命線を欠いたバルセロナ(1/2)

    今季6回目のクラシコはレアル・マドリーが勝利し、4季ぶりのリーガ優勝が目前に【Getty Images】 リーガエスパニョーラ第35節、今シーズン6回目の“エル・クラシコ”(伝統の一戦)は、首位レアル・マドリーが2−1で、2位バルセロナを下した。順位こそ首位のレアル・マドリーだったが、今シーズン5回行われたクラシコの戦績は2分け3敗。バルセロナに対してかなり分が悪かったが、コンプレックスを振り払い、勝ち点差を7に広げた。残り試合数が4であることを考えれば、4季ぶりのリーガ優勝は目前だ。試合後のレアル・マドリーの選手たちのスッキリとした笑顔が印象的だった。勝ち点の上でも、自信を深めるという意味でも、レアル・マドリーにとっては非常に大きな1勝になったはずだ。 とはいえ、試合内容を見ると、低調なクラシコだったことは否めなかった。 勝利したレアル・マドリーの良さというよりも、バルセロナのコンデ