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2014年1月13日のブックマーク (4件)

  • 山田太郎議員コミケ街頭演説発言要旨 : 二次元規制問題の備忘録

    2013年12月29,30日に、児童ポルノ法による二次元規制の問題に尽力してくれている山田太郎議員(山太郎議員とは別人です)がコミケ街頭演説を行いました。その演説の動画が公開されたのですが、1時間半を超える長い動画です。全てを文字起こししたとしても、読む方が大変でしょう。よって、山田議員の発言要旨を作成しましたので、以下に公開します。ただ、1時間半の動画を2000字程度に圧縮しているので、そこにはどうしても管理人の恣意が入ってしまうことをご了承下さい。そして、要旨を読んで興味を持たれた方は、実際の動画を見てみることを強く推奨いたします。

    山田太郎議員コミケ街頭演説発言要旨 : 二次元規制問題の備忘録
  • 田母神元空自幕僚長に戦場ジャーナリストが噛みつく-本当の戦争の悲惨さ知らないネトウヨ親父は引退すべき(志葉玲) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    最初に断っておくが、今回書くのは記事というより、コラムだ。そう、イラク戦争やレバノン戦争、ガザ侵攻などのパレスチナ紛争etcといった、戦争取材を重ねてきた者としての、一意見である。 東京都知事選に田母神俊雄・元航空自衛隊幕僚長が出馬するという。保守政党からの支持も得られない泡沫候補であり、いちいち相手にするのもどうか、とも思うが、かつてナチスが台頭した際も、当時の知識人達は「まさかあんなバカ達が政権を取ることはないだろう」とタカをくくっていたというから、やはり発言しておくべきなのだろう。さて、私が言いたいことは、要約すれば、 「当の戦争の悲惨さを知らないネトウヨ親父は大人しく引退しなさい」 ということだ。田母神氏は、元空自幕僚長という経歴やその過激な発言から一部のネット右翼に人気であるようだが、当の戦争というものを経験していないという点では、彼の支持層と同じ「ネトウヨ親父」にすぎない。

    YaSuYuKi
    YaSuYuKi 2014/01/13
    この理論であれば、髭の隊長が都知事選に引き出されてきたら頭を垂れるしかなくなるのだが
  • おこげのある鯛めしで卵かけごはん!大阪「北新地 和平」で本格和食ランチを食べる - ギャラリークラフト

    大阪市北区曾根崎新地にある割烹・小料理屋、「北新地 和平」に行ってきました。 あとでよく確認したら「カキフライ定」も選べるみたいなので(ただし鯛めしにならない)、これも気になります。 鯛めしの卵かけごはんは当にうまいですよ! リンク ぐるなび - 北新地 和平(北新地/割烹) 北新地 和平 - 北新地/割烹・小料理 [べログ] 宣伝 グルメ情報検索サイト「ぐるなび」のコンテンツの一つ、「みんなのごはん」で連載を描いています。こちらもぜひよろしくお願いします。次回は1/15(水)更新予定です。 宣伝2 12/25発売の雑誌「月刊 宝島」2014年2月号に、「日酒 基礎のキ」という漫画を1ページ描いています。こちらもよろしくお願いします。

    おこげのある鯛めしで卵かけごはん!大阪「北新地 和平」で本格和食ランチを食べる - ギャラリークラフト
    YaSuYuKi
    YaSuYuKi 2014/01/13
    瀬戸内の鯛はうまいぞ
  • やさしくない公共(上) 街は悪意に満ちている 「最悪いす」の意味:連載 : ニュース : カナロコ -- 神奈川新聞社

    そのベンチは「最悪いす」と呼ばれている。肘掛けが付き、一人分のスペースに仕切られ、傍らには荷物を置く台もある駅のベンチ。一見、座る人に配慮している。でも…。 「最悪」と名付けたのは貧乏旅行を好む旅人たちだった。ろくに宿にも泊まらず、夜汽車で移動し、時に無人駅で寝る。1990年代の初め、そんな旅行者を閉め出すかのように、ベンチに肘掛けが付き始めた。これでは横になれない。 「嫌な感じですよねえ」。各地を旅しながらミニコミ誌「野宿野郎」を編集している横浜出身の野宿愛好家・かとうちあきは言う。「でも、無理やり体をはめ込んで寝てる人もいますね。克服しているようで、ちょっとうれしい」。旅人は静かに闘っている。 ◇ 建築史家の五十嵐太郎・東北大大学院教授は、肘掛け付きベンチのような存在を「排除オブジェ」と捉え、背景にある「排除の思想」を読み解く。例えば、駅や公園にある奥行きの狭い腰掛けは、長時間

    やさしくない公共(上) 街は悪意に満ちている 「最悪いす」の意味:連載 : ニュース : カナロコ -- 神奈川新聞社
    YaSuYuKi
    YaSuYuKi 2014/01/13
    ホームレスに対して、適切に生活の拠点が与えられるような政策が実行されていれば、排除しなくても何も起こらない。生活可能にするのではなく生活不能にする政策が行われていると言える