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ブックマーク / hayabusa.jaxa.jp (12)

  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン | 2010年9月3日 「はやぶさ」の運用が残したもの スーパーバイザ 森 治

    2010年9月3日 「はやぶさ」の運用が残したもの スーパーバイザ 森 治 大学から異動したばかりの私の最初の仕事は、当時打ち上がって間もない「はやぶさ」のスーパーバイザ(SV)でした。 プロジェクトの経験がほとんどない自分が船長に相当するSVを当に務められるのか?という心配よりも、史上初めて小惑星に行って「かけら」を持ち帰ってくるという壮大な冒険に参加できるという期待の方がずっと大きかったと思います。 最初に驚いたのは用語が全く分からないことでした。略語集を作って、地道に実験計画書を調べていくうちに少しずつ「はやぶさ」のシステムや運用について、理解できるようになってきました。そして、知れば知るほどよく考えられて作られた探査機だなぁ、と実感しました。 運用では、得られるデータに限りがあるため、どこまで想像力を働かせられるかにかかっています。これは、特に不具合発生時に顕著になります。不具合

  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン

    2010年7月28日 「はやぶさ」テレメ、ロックオン! 地上系データ伝送システム担当 山下 美和子(富士通エフ・アイ・ピー・システムズ株式会社) 私が一番緊張する瞬間。 7年前の5月、M-Vロケットで打ち上げられた「はやぶさ君」が最初に日上空を通過する時、「はやぶさ君」がデータを下ろしてきます。私達が作成したデータ伝送システムは内之浦、臼田のアンテナで受信した「はやぶさ君」のデータを相模原の管制室に伝送し、共通QL(QL:クイックルック 「はやぶさ君」の各機器の温度や状態を表示するシステム)で「はやぶさ君」の状態を表示します。これを関係者が固唾を呑んで見つめています。この時が、私が一番ドキドキする瞬間です。動作しなかったらどうしよう、「はやぶさ君」の状態を皆に見せれるだろうか?? その時、受信局から「はやぶさテレメ、ロックオン」の声が聞こえ、共通QLに「はやぶさ君」の状態が表示されました

  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン | 2010年7月20日 最後の願い“カプセル分離” 点火系・カプセルタイマ担当 中部 博雄

    2010年7月26日 最後の願い“カプセル分離” 点火系・カプセルタイマ担当 中部 博雄 2010年6月13日午後10時、ライブ中継は無言の管制室を映していました。 管制室内の動きで、「はやぶさ」の状況を把握しようと画面に集中、短くも長い時間が過ぎていきます。 ・・・私が担当していた「はやぶさ」の点火系は、7年もの長きにわたりスクイブ(火工品)が宇宙空間に曝されるのは経験がありません。「確実に発火する?」、「点火電源であるコンデンサーは無事?」うまく行って当たり前の点火系ですが心配でした。 「はやぶさ」は点火系にとっても今までの衛星にはない多くの仕様変更がありました。点火項目数の大幅増、多くの点火系はコマンドで実行されますので各種コマンドにアーミングを設け誤送信を防止しています。それに伴う回路の追加、さらに機械環境条件が厳しくなり、その対策のためにリレー部のショックマウントが必要になりまし

    YaSuYuKi
    YaSuYuKi 2010/07/27
    糸川研最後の人か
  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン

    2010年7月20日 画像の思い出 マルチバンド分光カメラ(AMICA)チーム 横田 康弘 私が マルチバンド分光カメラ(AMICA)チームリーダーの齋藤潤さん に「『はやぶさ』をやらないか?」と誘われたのはイトカワ到着をひかえた2005年初頭でした。それまでの長い準備に参加していなかったのでためらわれたのですが、サポートで貢献すべく学生運用当番等をするうちに、AMICAとONC-T/W航法画像両方の現場に触れる貴重な機会を得ました。ここで思い出を振り返らせていただきます。 1.イトカワ着 8、9月頃。イトカワに到着し異様な姿が露わになると、皆と同じく私も度肝を抜かれました。ホームポジション(距離7km)に着くとまず、形状把握のために自転でイトカワの向きが変わるごとに画像が撮りまくられました。2つ目のリアクションホイール(RW)が壊れたのはその直後です。RW故障はその後に大影響を与えました

  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン

    2010年7月16日 「はやぶさ」&関係者の皆様、ありがとうございました。 化学推進系及び電気推進燃料供給系担当 高見 剛史(三菱重工業株式会社) まずは化学推進系について。 古い話になりますが、「はやぶさ」がITOKAWAへのタッチダウン準備を始めようかというある夏の休日、プロマネの川口先生から携帯に電話が入りました。「スラスタ(化学推進系の小型ロケットエンジン)は、どのくらい短く噴射ができますか?」というお問い合わせでした。「はやぶさ」に搭載している姿勢制御装置の調子が悪くなった頃のことです。「はやぶさ」の姿勢制御を、化学推進系(RCS)で実施することになった場合の対策を考えられてのことでした。 元々RCSは微小姿勢制御用には考えておらず、通常の設定噴射時間では発生力が大きすぎて制御が大変になるため、なるべく小さくしたいとのことでしたので、そこから大急ぎで確認試験を計画、準備、実施して

  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン | 2010年7月15日 診断システムを通して見た「はやぶさ」 元診断システム担当 水谷 光恵((株)富士通アドバンストソリ

    2010年7月15日 診断システムを通して見た「はやぶさ」 元診断システム担当 水谷 光恵((株)富士通アドバンストソリューションズ) 「はやぶさ」帰還時の映像――夜空に、燃え尽きていく「はやぶさ」体の傍らで、輝き続ける大気圏突入カプセルの映像――は、とても印象的でした。「はやぶさ」が燃えるのを見ていたら、もうどうやっても「はやぶさ」からテレメトリデータは来ないのだと実感して、診断システムも役目を終えたのだと思いました。 私はSEとして、「はやぶさ」の診断システムの構築と運用支援を担当していました。診断システムは、テレメトリデータ(探査機から電波で送られてくる探査機体や内部機器の情報)、軌道データ、地上局データ、運用情報、などを取り込んで、「はやぶさ」の健康状態を自動的に監視診断して安全運用を支援するためのシステムです。 診断システムの構築は、1990年12月から、磁気圏尾部観測衛星G

  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン | 2010年7月9日 私の選ぶ「はやぶさ」最高の「その時」 探査機運用班長、スーパーバイザー、イオンエンジン担当 西山 �

    2010年7月9日 私の選ぶ「はやぶさ」最高の「その時」 探査機運用班長、スーパーバイザー、イオンエンジン担当 西山 和孝 「はやぶさ」の応援をしてくださった方々やプロジェクト関係者の皆さんにとって、最も印象的で記憶に残った「その時」は7年間の「はやぶさ物語」のどの場面でしょうか? おそらく、「はやぶさ」がさまざまな苦難に立ち向かう場面を思い浮かべる方が多いことでしょう。プロジェクト関係者ですら記憶にないことかもしれませんが、私はあえてイトカワ到着の4ヶ月ほど前の2005年5月10日から17日にかけての一週間を最高の名場面、「その時」としてあげたいと思います。 2010年6月13日、一時は「強制終了」かとも思われた7年間(2592日間)にわたる「はやぶさ」探査機運用のラストシーン(最終追跡運用)を私は最終スーパーバイザーとして完成(管制)することができました。全ミッション期間の探査機追跡は

    YaSuYuKi
    YaSuYuKi 2010/07/09
    短期間とはいえ、自動運転まで実現していたのか
  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン

    2010年7月6日 ありがとう「はやぶさ」! 電池担当 山 真裕(古河電池株式会社) おかえりなさい「はやぶさ」! そして幾多の感動をありがとう。 また、JAXA諸先生方ならびに関係した全ての皆様、カプセル生還、おめでとうございます。皆の思いで蓋を閉めたカプセルにイトカワのサンプルが入っていることを心よりお祈りいたします。 大気圏突入の時、私は自宅のパソコンの前で燃え尽きる「はやぶさ」を見つめていました。 「はやぶさ」の炎が大きくなる度に11個搭載したリチウムイオン電池の1つ1つが、残された「はやぶさ」ミッションの全ての成功を祈った花火と化し、飛び跳ねているかのように見え、私も嬉しくて、年甲斐もなく泣き続けていました。 「はやぶさ」がまだ「MUSES-C」だった1998年、「はやぶさ」専用のリチウムイオン電池を開発することになりました。まだまだ電池屋として駆け出しであった私は、電池の設計

  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン | 2010年7月5日 「はやぶさ」が「MUSES-C」と呼ばれていた頃 推進系・ターゲットマーカ担当 澤井 秀次郎

    2010年7月5日 「はやぶさ」が「MUSES-C」と呼ばれていた頃 推進系・ターゲットマーカ担当 澤井 秀次郎 私が「はやぶさ」に関わっていたのは、主に打上げ前、つまり「はやぶさ」がMUSES-Cと呼ばれていた頃です。 その「MUSES-C」改め「はやぶさ」を再び目で見ることができるとは、正直思っていませんでした。それは、カプセル帰還の映像で、一緒に大気圏に突入して燃え尽きる姿でしたが、まさに華々しく散る様子。自分たちが精魂込めて作り上げたものが、灼熱の中で焼けていく姿は、悲しいというよりも、とても美しく、また、最期を看取ることができた、という感慨がわいてきました。 探査機の「はやぶさ」がこれほど注目を集めることになった、というのは、嬉しい反面、驚いてもいます。 たとえば、打上げの半年くらい前に、「はやぶさ」(当時はMUSES-C)の話をしに、西日の某都市に出かけたときは、数百人入る会

  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン | 2010年6月29日 微力だけれど カプセル回収チーム測量班・ヘリコプター班 河野 まり子

    2010年6月29日 微力だけれど カプセル回収チーム測量班・ヘリコプター班 河野 まり子 以前、衛星開発の現場にいたことがあり、宇宙研で働くようになってからはMUSES-C搭載機器の開発に伴う苦労を間近に見ていたこともあって、MUSES-C(はやぶさ)は遠い存在ではありませんでしたが、自分がカプセル回収チームに加わることになるとは夢にも思っていませんでした。 現地では目の前にある測量班・ヘリ班の作業に取り組んでいると日々があっという間に過ぎてゆき、オーストラリアの地で多くの人の注目を浴びているプロジェクトに関わっているという実感や高揚感がまるでありませんでした。 もちろん、きれいな南半球の星空に感激したり、扱っていた測量機器が予期しない動作をして慌てたり、カプセル捜索のために飛び立つヘリを祈るような気持ちで見送ったり、というような心の動きはあるのですが。 「またとない経験をさせてもらって

  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン

    2010年6月25日 「はやぶさ」の運用支援を終えて 地上系担当 小坂 隆征(富士通株式会社) 大気圏再突入の日、私は担当するシステムの動作監視のため事務所にいました。「はやぶさ」打ち上げられてから7年、様々なトラブルに見舞われながらも見事に帰還を果たしました。運用にかかわられた関係者の皆様、お疲れ様でした。また、無事回収されたカプセルにイトカワ由来のものが存在していることを心よりお祈りしております。 私が担当したシステムは、「はやぶさ」から送られてくるデータや地上局の受信状態などから、宇宙機の状態が異常になっていないかを自動で監視し、異常があれば関係者にメールなどで通知するシステムです。「プロの目」による判定を「知識ベース」として蓄え、それに基づいた判断を行います。運用担当者は、管制室のモニタに張り付いていなくても、「知識ベース」に基づいた判断結果を知ることができるようになっています。

  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン | 2010年6月15日 帰還を終えて NECはやぶさシステムマネージャ 大島 武

    2010年6月15日 帰還を終えて NECはやぶさシステムマネージャ 大島 武 1996年のGW明けに、かねてから希望していたシステム部門に異動となり、初めて担当したのが、MUSES-C(はやぶさ)でした。右も左も分からず、「リプロって何?」などと言いながらも、がむしゃらに取り組んでいたことが思い出されます。(注:リプロはReproduceの略で、データレコーダを再生すること。) 2003年5月に打ち上げられ、無事にイオンエンジンも立ち上がると、私自身は、金星探査機PLANET-C(あかつき)の開発の方に軸足が移ってしまいましたが、それでも、2004年の地球Swing Byの時や、2005年のイトカワ ランデブー/タッチダウンの時などには、軸足を戻し、(時には)必死で対応してきました。 ここ暫くは、「あかつき」の打上げもあり、「はやぶさ」から離れてしまっていましたが、最後の最後、カプセル分

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