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ブックマーク / dragoner-jp.blogspot.com (3)

  • 「人の心」を巡る現代戦争

    はてなダイアリー「下総ミリタリースクエア」が、移転の上改称。 dragonerが草葉の陰から生暖かく軍事話やその他の雑想を垂れ流すブログ。 Twitterでこれは酷い対談記事だというリンクが出回ってきたので、どれどれと思って覗きに行った所、これが想像以上に酷かったのです。回ってきた以下のツイートに全く同感。 ヒドイ対談記事だな、これ。集団的自衛権や軍事や国際情勢に無知な上に、憶測どころか妄想をかっ飛ばし過ぎている。こんなのを掲載する東洋経済の編集の神経が信じられん。 →日は「イスラム国」掃討に行きたがっている | 東洋経済オンライン http://t.co/jM4MeeGdtv — Yasuaki Madarame (@madarame) 2014, 9月 29 問題の記事は、週刊東洋経済オンラインに掲載された作家・評論家の笠井潔と政治学者で文化学園大学助教の白井聡の2人よる「日は「イ

    「人の心」を巡る現代戦争
    Yoshitada
    Yoshitada 2014/10/01
    言いたいことは判るのだが、もうちょっとブレイクダウンした資料が新書などで入手しやすくなってないと、一般的な議論の前提に出来るほどの教養扱いは難しいと思うが。
  • 時代と共に変わってきた集団的自衛権の憲法解釈

    戦争放棄をうたった憲法9条と自衛権の関係をめぐる政府の解釈は、これまでも日の安全保障環境の変化に伴って変遷してきた。限定的とはいえ、集団的自衛権の行使を可能にする今回の閣議決定は、個別的自衛権の行使を認めた1954年以来の大転換となる。 しかし、集団的自衛権を認めないとする解釈は、日国憲法施行の後になって成立しており、解釈も時代により異なっていた事は、あまり報じられていないようです。集団的自衛権を、どのように政府は解釈していたのでしょうか。その変遷の過程を見て行きましょう。(※以降の引用部における強調部は全て筆者による) 「解釈に自信が無かった」集団的自衛権の始まり 集団的自衛権について、国会で最初に答弁が行われたのは、1947年12月21日の衆議院外務委員会の席上の事でした。当時の西村外務省條約局長の発言の中に出てきています。 ただ一つ新しい現象といたしましては、国際連合憲章の今申し

    時代と共に変わってきた集団的自衛権の憲法解釈
    Yoshitada
    Yoshitada 2014/07/07
    言いたい事は判るんだけど、結局、政治の本質は、構成員の「納得感」で、それを得るための政策プロセスであり国会での議論なのに、そこをすっ飛ばしてるんだから、生理的反発喰らうのもしょうがないじゃんって言う。
  • オオカミ少年は死なず ~民主主義は何回死んだか~

    特定秘密保護法が成立しましたね。 この法案を巡っては、反対論陣を張ったメディア、特に朝日新聞と毎日新聞が批判的な報道を連日繰り返していましたが、法案成立時に毎日新聞は「民主主義死す」とまで題した見出しをつけています。 特定秘密保護法:成立 軽々と、民主主義死す 「息苦しい世になるのか」 民主主義が死んだとは穏やかではありませんね。当に民主主義が死んだのであるならば、メディアによる政府批判や、私のような一介のブロガーが呑気にブログ書いてたりは出来ないと思うのですが、「民主主義が死ぬ」というフレーズは、昔から色んな政治家が、揉めた法案がある度に発言していた記憶があります。 そこで、平成以後に国会議員が発言した「民主主義の死」に類する発言をいくつかピックアップしてみた。(肩書はいずれも発言時) 自自公の数の横暴で民主主義が死にかけている。一日も早い解散を迫っていく。

    オオカミ少年は死なず ~民主主義は何回死んだか~
    Yoshitada
    Yoshitada 2013/12/11
    本当に「死んだ」時には、誰もそれを口にできなくなってるんだから、こういうのは、今の内に言っとかなくちゃダメなんだよ。
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