冷戦期、ソ連が芸術的優位性誇示のため威信をかけて開催した第1回チャイコフスキー国際ピアノコンクール。もちろんソ連政府はソ連人の優勝を予定していた。しかし、審査員だったスビャトスラフ・リヒテルは、西側からきたアメリカ人ピアニスト、クライバーンに満点を、他の者すべてに0点の点数をつけ、クライバーンが優勝した。リヒテルは政治には屈しなかった、それは、彼が“芸術家”だったからだ。 前稿まで見てきたとおり、集団的自衛権、後方支援、自衛官の武器使用を中心として、10本を1本にしたこの法案には不可分・不可避的に“違憲性”や“法の欠缺”という爆弾がちりばめられている。 本法案は、今後、自衛隊員等が訴訟提起をして、違憲判決が下された場合、アメリカとの約束は結果的に果たせなくなるというリスクを抱え続ける。真に日米同盟を大切であると考えるならば、このような爆弾を抱えた法案を成立させることで、「約束に応えた」とす