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ブックマーク / pie.hateblo.jp (7)

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    仕事は誰でもできるけどお母さんは替えが効かない」というテーゼよくわかんなくて、いや、どっちも替えは効かんやろと思う。(あと、もうちょっと歳を重ねると今度は「親と自分の家族と仕事とどれを取るか」みたいな話が出てくるけど、それも同様) マリー・キュリーは娘を義父にあずけて研究してたけど、「こんなちっちゃい子を預けて研究なんて!」って認めなかったらその後のノーベル賞学者は生まれなかったし、逆に「研究が大事だから子どもは作らない」とか言ってたら、やはりその後のノーベル賞学者(イレーヌ・ジョリオ・キュリー)が生まれてない。 「マリー・キュリーは偉人だから」って言う人もいるかも知れないけど、子ども産んだころはまだ偉人じゃなくて、優秀なアラサーリケジョ、ぐらい。それならば、現在「あなたおかあさんなんだから仕事より子どもでしょ!」って言われてるその人が、将来すごい偉大な事業を成し遂げ、社会の難問を解決し

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    Youchan
    Youchan 2018/05/25
    あんまりブクマついちゃうと、また非公開になってしまいそうだけど、とても良い話なのでシェアしちゃう
  • ■ - 予定地

    セクハラを成立させてる大きな枠組みとして、女性が女性的な魅力アピールと「自分はあなたより劣ったものです」という振る舞いによって男性をもてなし、男性がそれに対して見返りを与える、という取引構造があると思う。 さらに「モテる男性は金離れがいい(=スマートに女性に見返りを与えることができるゆえに女性を獲得できている)」というドグマ自体、ひっくり返すと「女性に見返りを与えればセックスして良い」ということにつながりかねない危険な主張だと思う。 要は「女性におごらない男は童貞」と言い立てることが(直接的に嫌がる誰かに対してそういったのではないから)百歩譲ってセクハラには当たらないとしても、セクハラが蔓延する構造の一部を形成しているんじゃないかと。 現状、特に若い女性にとっては「女性的な魅力をアピールしながら「自分はあなたより劣ったものです」という振る舞いをすること」それ自体は社会的な振る舞いの規範とな

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    Youchan
    Youchan 2017/12/19
    うん。
  • ■ - 予定地

    私は、一般的な母親より子どもを他人にあずけている時間が圧倒的に長い親だったけど、そこにはあんまり負い目を持ってない。 というような話に対して「はじめてのハイハイもはじめてのあんよも全部他人が見ることになるのに」的なコメントを見た。 でも、すごく乱暴な言い方をするけど、私の場合(特に障害などの事情がなければ)成長にともなって自然に誰でもできるようなことができる瞬間に感動する感性が薄い。「はえば立て、立てば歩け」が親心であるなら、私は親心が乏しい。「いずれ歩くやろ」ぐらいの感覚しかない。 薄情かもしれないけれど、子どものころを思い返した時、はじめてたった瞬間や歩いた瞬間を鮮明に覚えてる人間なんているのだろうか。私は、自分のときにそこに立ち会ったのが親だったのか誰だったのかなんて、まったく覚えてないよ。まあ、最近の人は全部そういう”感動の瞬間”を動画で残してるのかもしれないけど、自分は大人になっ

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    Youchan
    Youchan 2017/06/06
    めっちゃいい話だった!
  • ■ - 予定地

    ドワンゴのあれ、わりと女性はふつうに受け付けないと思う。でもみんなエンジニアみたいな男社会の文化として仕方ないって思ってて、そこで目くじらたててめんどくさいフェミみたいに思われても自分が損するだけなので、わりと曖昧な笑いを浮かべて流してる感じ。 自分は、そういう時に受け付けないってわりとちゃんと言うことにしてて、たぶんめんどくさいフェミみたいに思われてると思うんだけど、あとでわりと多くの女の人からよく言ってくれた的に褒められる。そういう体感からしても結構そういう雰囲気に不快感持つ女性は多いんじゃないかなあ。「バイト雇ってやってるから問題ない」とか「イケメンが弁当配ればいいのでは」みたいなそういう問題ではなく。 とはいえ、実際に自分がその場にいても不快感は表明しないと思うんだけど、これはよく例に挙げてる「タバコ臭い場所でタバコ臭いと文句いうことはしないけど、気がついたらたタバコ臭い店は無意識

    ■ - 予定地
    Youchan
    Youchan 2013/08/30
    あれをスルッとかわすようになりたいと思いつつも、ちゃんと不快感を表明するかっこ良さみたいのも感じる
  • 比較的年長者として思うこと - 予定地

    能力が高い若い人の率直さとかって、当に貴重な宝物のようなもので、それをいい形で活かすのが年長者の努めだと思うし、それで自分の痛いところを突かれたとしてもそれはむしろ喜ばしいことだと私は感じる。 自分の老化した目では気づかない視点で見てくれているのだから。その代わりに彼らが知らないことを私が知ってたり、彼らにできない表現を私ができるとしたら、そこを組み合わせてこそいい形にできるし、だから一緒に何かすることで価値を出せる。 残念ながら、実際には痛いところを突かれるのに耐えられない年寄りが世の中にはたくさん存在して、そういう人はだいたい骨のある若者に対して生意気だとか増長しているとか配慮に欠けるとか言って潰しにかかるわけですが、害悪でしかない。年長者として大事な要素って育成力で、それがないのに年だけとってもどうしようもないんじゃないだろうか。少なくとも組織の上のほうに来るべきではないと思う。

    比較的年長者として思うこと - 予定地
    Youchan
    Youchan 2013/04/22
  • 定量化の話 - 予定地

    ここ10年ぐらい定量化の呪縛にかかってたと思う。 実際には、なんでも定量化できてると話が早いので、管理職の仕事として、成果をちゃんと数値化して指標を設け、チーム全体が正当な評価をされやすくする工夫は大事だと思って頑張ってきた。でも、ふと気づくと「それをどう定量化できるか」ばっかり考えてる自分がいる。これはこれでなんかおかしい。 この間、スマッシュメディアの河野さんのセミナーでソーシャルサポートの話を聞いたんだけど「成果の指標はどうするんですか」って質問したら、あんまり定量化された指標を作っていない、作っても無意味ということでガツンとやられた。指標がなかったらその成果をどう評価して報酬を支払っていくのだろうと思ったんだけど、逆に指標なんてなくても成果が評価できるぐらいでないと、そういう柔軟なサポートなんぞできないのだろう。 当に、ユーザー対応とか、コミュニティ運営にまつわる様々な施策の成果

    定量化の話 - 予定地
    Youchan
    Youchan 2012/06/16
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  • 家族の愛とかの話 - 予定地

    意外に思われるかも知れないけど、私の18歳ぐらいまでの生育歴を振り返ると、4世代同居の大家族の末っ子でわりとヌクヌク愛されて育ってるといえなくもないのだ。あらびっくり。 ただ、無防備に愛されて育ってきた人特有の「あの感じ」がしないであろう理由はいろいろあって、まず、なぜか近所の人がしょっちゅう家に来てリアル発言小町的人生相談が繰り広げられていたことに加え、行きがかり上なぜかDV被害者の母子をかくまったり、なぜか地方在住の不登校児を預かったり、小学校のときの友達がしゃれにならない虐待受けてたりと、人の出入りがあれこれあって、さまざまな家のさまざまな事情を嫌でも見せられてきたので、自分の家が当たり前という意識があまりなかったというのがある。表面的にうまくいってる家でも、実は誰かが我慢してたり、家族のだれかとだれかが仲が悪かったりとかいうのは普通にあるんだなあと子どものころから肌で感じていた。

    家族の愛とかの話 - 予定地
    Youchan
    Youchan 2011/12/05
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