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ブックマーク / number.bunshun.jp (4)

  • 「髪の毛を切ってから、出直してこい」というヤジも…今夏甲子園の“非坊主”校、慶應高監督が明かす“高校野球の嫌いなところ”「皆、甲子園中毒になっている」(森林貴彦)

    青春の押し付け問題 大人が選手を自分好みのストーリーに当てはめようとする、いわば、青春の押し付け問題。これも高校野球が抱える、そして解決していかなければならない大きな課題の一つです。高校野球はシンプルに言えば、高校生がただ野球をやっているだけですが、真夏の風物詩やお祭りのように捉えている人が多く、もはや非常に巨大なエンターテインメントとなっています。新たなヒーローの出現や感動的なゲームを望むファンがいて、また、それを売り込んでいこうとするメディアの存在もある。そこで過剰に膨らまされたドラマに、それを望むファンが喜んでいつく。こうした土壌が高校野球にはあると思います。 そしてそれを支えているのが、春と夏の全国大会が公共放送で全試合生中継され、その面白さを全国民レベルで共有できてしまうところなのです。一部からは「試合が面白いのだから、いまのままでいいじゃないか」という意見も聞かれますが、それ

    「髪の毛を切ってから、出直してこい」というヤジも…今夏甲子園の“非坊主”校、慶應高監督が明かす“高校野球の嫌いなところ”「皆、甲子園中毒になっている」(森林貴彦)
    ZeroFour
    ZeroFour 2023/08/11
    「野球がしたいだけなのに坊主頭を強制された」と書き残して校舎屋上から…とか取り返しのつかない喪失が相次ぎでもしないと、一人二人では上の方は「遺憾である。学校には調査を行う」で済ませそうですらある。
  • 藤井聡太五冠vs.羽生善治九段は例えるなら「ディープ対ルドルフ」 競馬好き、高見泰地七段が解説する“世代を超えた歴史的一戦”(茂野聡士)

    「なんというか……シンボリルドルフとディープインパクトが真っ向から一騎打ちしているようなものですよ」 藤井聡太王将と羽生善治九段が激突している王将戦について、高見泰地七段に“趣味である競馬で例えてもらえますか?”という、こちらの無茶ぶりに対しての回答だ。 「ディープvs.ルドルフ」に込めた意味 「いえいえ、こじつけではなくて意味があるんです。シンボリルドルフは現役時代、GIを7つ制覇して〈七冠馬〉と評されました。羽生先生は七冠制覇した実績がありますよね。一方の藤井さんは若き日から圧倒的な力を発揮して、タイトルを獲得し続けている。最強と評された者同士の勝負が実現したという意味で、世代を超えた歴史的一戦になっているなと感じますからね」

    藤井聡太五冠vs.羽生善治九段は例えるなら「ディープ対ルドルフ」 競馬好き、高見泰地七段が解説する“世代を超えた歴史的一戦”(茂野聡士)
    ZeroFour
    ZeroFour 2023/02/27
    【THE LEGEND】こんな棋士が存在していいのか。敗北など考えられない戦いに人はどこまでも夢を見た。奇跡に最も近い棋士。vs. ある男が云った。将棋に"絶対"はないが、その棋士には"絶対"がある――永遠なる皇帝。
  • “有馬記念で3年連続3着”ナイスネイチャ33歳がふるさとで過ごす幸せな余生「馬なのに“人間っぽくて大好き”と言われます」(曹宇鉉)

    5年連続で有馬記念に出走した現役時代 渡辺さんが北海道浦河町の渡辺牧場で働き始めたのは、後にナイスネイチャと命名される仔馬が生まれた約3カ月後のことだった。1988年に同牧場で生産された牡馬は4頭。うち1頭は脚元が弱く、ナイスネイチャは残りの3頭のなかでボス格として振る舞っていたという。 「お母さんのウラカワミユキがボス的な存在だったので、その影響もあるんだと思います。でも、育成牧場では他の子にいじめられていたみたい。内弁慶というか、井の中の蛙だったんでしょうね(笑)」 1990年12月、京都競馬場でデビューしたナイスネイチャは、2戦目のダート戦で初勝利をあげる。年明け後は6着、3着、2着と足踏みをしたが、夏の小倉で行われた条件戦からGIII小倉記念、GII京都新聞杯を含む怒涛の4連勝。同世代の二冠馬・トウカイテイオーが骨折で戦線を離脱するなか、“夏の上がり馬”の筆頭格として2番人気でGI

    “有馬記念で3年連続3着”ナイスネイチャ33歳がふるさとで過ごす幸せな余生「馬なのに“人間っぽくて大好き”と言われます」(曹宇鉉)
    ZeroFour
    ZeroFour 2021/12/26
    マックイーン「ネイチャさん」テイオー「やっほーネイチャ!」ライス「ネイチャさん」ハヤヒデ「ネイチャ君」ブライアン「ネイチャか」マヤノ「ネイチャちゃん」猛者たちを知る者。ゲームで継承先が多いのも納得だ。
  • F1界で輝き続ける日本人たち。元ブリヂストンの浜島がフェラーリへ!(1/2) - Number Web : ナンバー

    2009年、フェラーリのテクニカルディレクターであるアルド・コスタ(当時)と会話する浜島裕英。浜島の優れた資質は、フェラーリだけでなくブリヂストンのタイヤを使用する全てのチームが認めるところだった 浜島がブリヂストンに入社したのは、1977年。大学院から新卒で入社した浜島は、4年後の'81年からブリヂストンのモータースポーツ活動に従事する。F1に参戦した'97年からは現場責任者として指揮を執り、多くの栄光をブリヂストンにもたらした。F1参戦14年間で獲得した勝利は175勝。その中には、欧米の二大メーカー、グッドイヤーとミシュランとの戦いを制して挙げた輝かしい勝ち星もある。 F1撤退後の2011年は、タイヤ開発第2部付フェロー(部長)として、ブリヂストンのモータースポーツ活動の再編を断行。人は定年後も再雇用してもらい、生涯ブリヂストン社員で全うする気構えでいた。そんな浜島が一転、安定し

    F1界で輝き続ける日本人たち。元ブリヂストンの浜島がフェラーリへ!(1/2) - Number Web : ナンバー
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