子どものころから、すきな通り道ときらいな通り道というのがあって、ふだんからなるべくすきな道を歩くようにしていた。たとえば小学校にいくときは、朝は集団登校をしなくてはいけないので、不服ながらきらいな道を通るが、帰りはできるだけすきな道で帰る。だから登校と下校で歩く道がちがう。 しかし自分でも、どういう基準である道をすきになったり、べつの道をきらいになったりするのかがよくわからない。緑が多いからいいとか、うるさい道だからいやであるとか、そういった明確な理由ではないのだ。むしろ「ここの角で曲がっちゃうのはなんかちがう」とか「ここをまっすぐ進むとすっきりしない」、もしくは「雨が降ってるから今日はこっちの道にしたい」といったあいまいな感覚なのである。 しかし、それはたんに言葉として記述できないというだけで、判断そのものはきわめて一貫しており、かりに子どものころのわたしを現代に連れてきて、今のわたしが