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ブックマーク / donoso.hatenablog.com (2)

  • シン・ゴジラ論のあとのシン・ゴジラ論 - Valdegamas侯日録

    前口上 シン・ゴジラは映像の快感に満ち満ちた作品であった。何度となく繰り返される政治家や官僚たちの会議、自衛隊による整然としたゴジラへの攻撃、ゴジラを襲う無人在来線爆弾と高層ビル、そして鳥肌が立つほど美しいゴジラの熱線放射。どれもこれも素晴らしかった。 作を特異なものとしたのが、作品が社会現象として捉えられ、多くのシン・ゴジラ論が語られた点にあるだろう。教義の映画のレビューではなく、特集連載を掲載した日経ビジネスオンラインを典型として、「シン・ゴジラ論壇」は活況を呈した、あるいは呈するように仕向けられた。今しばらくこうした状況は続きそうな様子である。 おそらく2016年を振り返るとき、無視できない作品となったシン・ゴジラであるが、わたしは8月頭に一回目を見たときから耐え難い違和感があった。しかしながらそれを文章化することにはためらいがあった。わたしがためらいを感じたのは、違和感という名の

    シン・ゴジラ論のあとのシン・ゴジラ論 - Valdegamas侯日録
    a-park
    a-park 2016/10/14
    『本作で力点をもって描かれていたのは、「政治」ではなく「行政」であった』 ”リアル”なポリティカルフィクション扱いして賞賛する向きに感じていた違和感が見事に評されていて膝を打った
  • 「黒子のバスケ」被告人意見陳述に端を発する雑感 - Valdegamas侯日録

    「黒子のバスケ」脅迫事件の初公判で、被告人の読み上げた冒頭意見陳述全文(リンク1・リンク2)がインターネット上で評判になったが、これを読んでしばらくして、私は下記のようなツイートをした。 某意見陳述、くりかえされる自己の行動へのツッコミ、いかにもなネット的修辞、「自分がいかに消費されるか」を異常に意識した文章、何もかもがメタ的消費に飲み込まれた文章だという感じしかしなかったし、なんというかこういうストーリーに自分を固めたんだなという気持ち悪さしかなかった。— 侯爵 (@MValdegamas) 2014, 3月 17 あの文章に「時代の子」という性質を読み取る人もいるとは思うけれど、あれは「時代の子」を演じているようにしか思えなかった。まあそういうことを言うと何が演技でなにが実際なのか、という話なのだろうが。— 侯爵 (@MValdegamas) 2014, 3月 17 もちろん心なのか

    「黒子のバスケ」被告人意見陳述に端を発する雑感 - Valdegamas侯日録
    a-park
    a-park 2014/03/22
    「まとめサイトのような文体」「読み手として感想を挟む余地をいっさい許されなかった」これな あの徹底して突っ込みどころを自分で潰してく感じ、インターネットで言及されることを前提にした語りが気持ち悪くてな
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