出羽国(でわのくに)は、かつて存在した令制国の一つ。東山道に属する。現在の山形県と秋田県。上国。 沿革[編集] 成立まで[編集] 大和朝廷は7世紀半ばから9世紀初めにかけて、蝦夷の住む土地に郡を設置して支配版図を拡大する政策をとった。そのために蝦夷の地に城柵を設けた。先ずは木ノ芽峠が西端で弥彦山が北端だった越国を拡大して、柵を建てた。大化3年(647年)に渟足柵(ぬたりのき:新潟市)[1]、大化4年(648年)に磐舟柵(いわふねのき:村上市)[2]、斉明天皇4年(658年)に都岐沙羅柵(つきさらのき/ときさらのき:アイヌ語の地名の別称か、所在地不明)であり、これらのうち渟足柵と磐舟柵は現在の下越地方に当たる。 7世紀後半に越国から磐舟・渟足の2郡が分離されて越後国が設置された。その後は北方に勢力を拡大し、和銅元年9月28日[3](708年11月14日)に出羽郡を設置し、前後して出羽柵(庄内
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