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2008年11月16日のブックマーク (12件)

  • 首都圏外郭放水路調圧水槽自由見学会に行ってきた【人載動画】

    春日部の首都圏外郭放水路調圧水槽の自由見学会があったので行ってきました。がくがくするので乗り物系弱い人はすぐさま停止してください。4:25のあたりから編ですよ。スクロールする字幕の内容はwikipediaそのままなので、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%96%E9%83%BD%E5%9C%8F%E5%A4%96%E9%83%AD%E6%94%BE%E6%B0%B4%E8%B7%AFblog つくりました。http://yasu747.cocolog-nifty.com/blog/これまでのリスト(その他)→mylist/2907193これまでのリスト(国道編)→mylist/5094680

    首都圏外郭放水路調圧水槽自由見学会に行ってきた【人載動画】
  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第9回 「アニメージュ」

    今日はアニメ雑誌の話。前回までと話は前後する。1977年春に「OUT」が創刊された。この雑誌は創刊当時は、若者向きのサブカルチャー雑誌だったが、第2号で60ページにも及ぶ『宇宙戦艦ヤマト』の大特集を組み、これが大反響を呼び、やがてアニメの記事が増えていった。「OUT」は雑誌の基カラーにパロディ感覚があり、また、読者投稿ページに力を入れていた。大半がアニメの記事になってからも、アニメと関係ない投稿コーナーがあるなど、独自性の強い雑誌だった。第2号の『ヤマト』特集に関しては、大々的に『ヤマト』を取り上げた雑誌は当時は他になく、ファンにとって大変にインパクトのある1冊だった。 ただし、僕はこの創刊2号を当時手にとっていない。多分、地元の屋に入荷しなかったか、入荷したとしても中学生が見ないような棚に置かれていたのだろう。最初に「OUT」を手に取ったのは1978年の3月号。巻頭はスタジオぬえの特

  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第8回 劇場版『さらば宇宙戦艦ヤマト —愛の戦士たち—』

    いまだに『さらば宇宙戦艦ヤマト —愛の戦士たち—』だけは気軽に観られない。仕事で確認する事があって、ちょっとビデオを再生しただけでも緊張してしまう。同じ『ヤマト』でも、『ヤマトよ永遠に』なら、ビールを片手に気楽に観られるのだけど、『さらば』だけは特別だ。気軽に観られない理由のひとつは思春期に真剣に観た作品であるから。もうひとつは『ヤマト』シリーズに関するトラウマのためだ。トラウマについては同年輩の人間でないと理解できないかもしれない。 順に説明しよう。『さらば宇宙戦艦ヤマト —愛の戦士たち—』は1978年8月5日に公開された劇場アニメだ。『宇宙戦艦ヤマト』第1作の続編であり、完結編。アニメブームを代表する作品であり、興行的にも大ヒットを記録している。ガミラスとの戦いを終えて立ち直りつつある地球に、再び脅威が迫る。それは銀河を蹂躙する白色彗星帝国ガトランティスだった。強大な敵に対してヤマトの

  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第7回 『宇宙海賊キャプテンハーロック』

    1978年は、夏に『さらば宇宙戦艦ヤマト ─愛の戦士たち─』が、年末に劇場版『ルパン三世』(通称『マモー編』)が公開されている。TVでは春に『宇宙海賊キャプテンハーロック』や『未来少年コナン』が、秋に『銀河鉄道999』と『科学忍者隊ガッチャマンII』が放映開始。「24時間テレビ」内では、TVスペシャル『100万年地球の旅 バンダーブック』が放映された。つまり、アニメファンを意識して企画された作品が発表されるようになってきた。ラジオでもアニメ関連番組が多かった。「アニメージュ」創刊もこの年の夏だ。街の画材屋で、ファンがセルイラストを描くためのセル、タップ、絵の具等の画材を売り出した。つまり、アニメブームだった。その前の1977年に劇場版『宇宙戦艦ヤマト』が公開されており、そこをアニメブーム元年とすると、ブームが勢いよく盛り上がっていったのが1978年だ。 『宇宙海賊キャプテンハーロック』は、

  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第6回 劇場版『宇宙戦艦ヤマト』

    1977年夏に、劇場版『宇宙戦艦ヤマト』が公開。TVシリーズを再編集したものだが、若いファンが劇場に詰めかけてヒット作となった。ここから「アニメブーム」が始まり、そのブームで、アニメは若者の娯楽として認知される事になる。日の商業アニメのあり方が変わったわけだ。『ヤマト』のヒットがなければ、現在の日のアニメの隆盛はなかっただろう。 僕は劇場版『宇宙戦艦ヤマト』を、ロードショー時には観ていない。すでに「マンガ少年」の特集記事を読んでいて、アニメに興味を持っていたのだが、中学1年の僕には、東京まで映画を観に行くという発想が浮かばなかったのだろう。公開前に劇場前にファンが徹夜で並び、マスコミで話題になったのだが、その記事を読んでも遠い世界の話のように思っていた。こう書くと、お前は電車に乗ってスタジオ見学とかに行っていたんじゃないのか(第4回参照)と突っ込まれそうだが、僕がスタジオ見学などに行く

  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第4回 スタジオ見学

    前回触れた「TVアニメの世界」の中に、東映動画のスタジオ見学についての情報があった。そこで初めて、アニメスタジオの見学ができるという事実に気がついた。それまではアニメを作っている現場に行くなんて思いつきもしなかった。「TVアニメの世界」を手にしてから数ヶ月後のある日、東映動画のある大泉学園が、電車で数駅分の場所だと気がつき、その日のうちにフラフラと東映動画に行った。 道に迷ってしまった。というかロクに場所も調べずに行ったので、着いたのは夕方で、見学のできる時間ではなかった。その日は、東映動画の建物の外観だけを見て帰ったはずだ。それだけの事だったのだけど、アニメの制作現場に接近できた事でワクワクした。数日後に改めて東映動画を訪れた。その日は見学日ではなかったが、当時の東映動画はファンのためにスタジオの一部にショップを設けており、撮影に使ったセル画、台、絵ハガキ等を販売してした。そのショップ

  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第3回 「TVアニメの世界」

    大袈裟な言い方になるけれど、「月刊マンガ少年」の臨時増刊「TVアニメの世界」は、僕が今までの生涯で一番大きな影響を受けただ。中学生だった僕は、このをボロボロになるまで読んだ。発売されたのは1977年末。「マンガ少年」誌を見ると、10月下旬に発売されたようだ。誌のアニメ記事が好評で、それを受けて発売された特集号だ。 内容は『宇宙戦艦ヤマト』『科学忍者隊ガッチャマン』のフィルムストーリー、『サイボーグ009[第1作]』『レインボー戦隊ロピン』の脚採録、読者が選んだTVアニメベスト10、TVアニメ14年の歴史を振り返る記事といったところがメイン。他にはアニメーター志望の青年を主人公にしたマンガ(原作/石津嵐、絵/すがやみつる)、スタジオ訪問、アフレコスタジオ訪問、声優座談会、TVアニメ小辞典、TV放送アニメ全リスト等。辻真先は巻頭言と「原作とTVアニメの関係によせて」という読み物を執筆

  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第2回 「マンガ少年」

    アニメージュが創刊されるのが1978年。「月刊OUT」が創刊されるのが1977年。その前に「月刊マンガ少年」があった。 「マンガ少年」が創刊されたのは1976年夏。僕が小学6年生の時だ。創刊号を店頭で見つけた時の事はよく覚えている。それまで知っていたどの漫画雑誌とも比較にならないくらいマニアックな雑誌だった。初期の連載タイトルを並べると、手塚治虫の「火の鳥」、桂真佐喜と石川賢の「聖魔伝」、松零士の「ミライザーバン」、竹宮恵子の「地球へ…」、石森章太郎の「サイボーグ009」、永島慎二の「少年期たち」、ジョージ秋山の「戦えナム」、吾ひでおの「美美」。さらに新人作家として、ますむらひろし、高橋葉介達が活躍。読み切りも充実。SFマンガが多いのが嬉しかった。読み物連載としては、名セリフをきっかけにして古今東西のマンガを紹介しまくる、みなもと太郎の「お楽しみはこれもなのじゃ」。この連載は傑作で、僕

  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第1回 『魔女っ子メグちゃん』

    初めてアニメの作り手を意識したのが『魔女っ子メグちゃん』の再放送だった。中学1年の時だったと思う。年で言うと1977年頃。「アニメージュ」が創刊される前の事だ。 『メグちゃん』の再放送は、夕方の帯枠だった。たまたま観ていて「あれ? 昨日と絵が違うな」と思った。気にして観ていると毎日絵柄が違う。すぐに作画監督として荒木伸吾の名前がクレジットされる回が一番絵が華麗であり、キャラクターが可愛らしい事に気がついた。他の作画監督も、それぞれ個性がある。荒木作監以外では、端名貴勇作監、木暮輝夫作監の回が好きだった。 毎回画風が違う。そして、それはどうやら作画監督という役職のためであるらしい。当時の僕にとって大発見だった。それまでも、大勢のスタッフがアニメを作っているのを頭では分かっていたが、実感はしていないかった。それに気づいてからは、作監を意識して『メグちゃん』を観た。間もなくエンディングを観なくて

  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第5回 『宇宙戦艦ヤマト』

    かつてアニメには「ロマン」があった。『宇宙戦艦ヤマト』第1シリーズが始まったのは1974年10月。僕は小学4年生だった。よく話題になる事だが、東京地方では『ヤマト』の裏番組が、『アルプスの少女ハイジ』とSFドラマの「猿の軍団」だった。僕は『ハイジ』派で、時々浮気して「猿の軍団」を観ている感じだったので、『ヤマト』は放送ではほとんど観ていない。クラスメートの1人が熱心に僕に『ヤマト』を勧めてくれた。「とにかく観ろ」というのだ。試しに一度観てみたところ、昆虫型の宇宙人が登場し、アナライザーにスポットが当たるビーメラ星の話だった。運が悪かった。反射衛星砲の話とか、七色星団の話とか、血湧き肉躍るエピソードだったら、きっと翌週も続けて観ただろう。だけど、その時はあまり惹かれる事がなく、翌週からは観なかった。 だから、ちゃんと『ヤマト』を観たのは再放送だった。最初の再放送だったのか、数度目の再放送だ

  • 大石英司の代替空港

    ここは、作家・大石英司が年間363日発行しているメ-ルマガジソのBBSとして機能中です。 http://www.mag2.com/m/0001690721.html  ←まぐまぐ 無料版メ-ルマガジソ http://www.mag2.com/m/P0001213.html ←日刊 大石英司の代替空港 メルマガ、月額500円(税別)、おまけ記事付きの有料版メ-ルマガジソ ※ コメントがスパム判定された場合には、下記サイトへ *緊急滑走路 http://eiji-oishi.seesaa.net/archives/20190329-1.html 新刊、今夕辺りは大坂、神戸まで行っているはずです。今日は新聞休刊日なので、ニュースは何もありません。断言! ※ 「一番の悪人はアイツだ…!」自民党裏金問題・清和会内部が憤怒する「大物議員」の名前 https://news.yahoo.co.jp/art

    大石英司の代替空港
  • 廃墟通信(1999年06月14日~1999年06月20日)