二次攻撃の意見具申はなかった 第二撃をやらなかった件について、アメリカ側でも日本側でも大きな批判がある。あれほどの戦果を挙げたのであるから、第二撃を行なって戦果を拡充するのは、兵術家ならばだれでも考えるところである。では、果たして第二撃はできたであろうか。 当日、第二次攻撃隊の最後の飛行機が着艦したのは、午前10時近くであって、日没前3時間である。第一次、第二次攻撃隊は、着艦する順序に対艦船攻撃に備え、攻撃機は全機雷装、爆撃機は通常爆弾を装備していた。これらを陸上攻撃用に兵装を転換し、集団攻撃を行なうとすれば、発艦時刻は早くて12時ごろになり、夜間攻撃、夜間収容となることは必定であった。作戦海面の天候は、風速13~15メートル、うねりは大きく、雲量は5~7、母艦は最大15度のローリングをしていた。この天候は平時ならば、演習中止になるところである。 この状況で、十分な成果を期待し得る攻撃を行
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