![](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/eaa1b29cfddf269e88cdcfed699614593c2ad3ea/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fbunshun.jp%2Fmwimgs%2F6%2F2%2F1200wm%2Fimg_6229117d357b940c7745d71b94d40294187058.jpg)
エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
(3ページ目)《真珠湾攻撃》なぜ日本は“二次攻撃”をやらなかったのか「山本五十六も米国の底力を下算していた」「政治的、戦略的には大きな失敗だった」 | 文春オンライン
二次攻撃の意見具申はなかった 第二撃をやらなかった件について、アメリカ側でも日本側でも大きな批判が... 二次攻撃の意見具申はなかった 第二撃をやらなかった件について、アメリカ側でも日本側でも大きな批判がある。あれほどの戦果を挙げたのであるから、第二撃を行なって戦果を拡充するのは、兵術家ならばだれでも考えるところである。では、果たして第二撃はできたであろうか。 当日、第二次攻撃隊の最後の飛行機が着艦したのは、午前10時近くであって、日没前3時間である。第一次、第二次攻撃隊は、着艦する順序に対艦船攻撃に備え、攻撃機は全機雷装、爆撃機は通常爆弾を装備していた。これらを陸上攻撃用に兵装を転換し、集団攻撃を行なうとすれば、発艦時刻は早くて12時ごろになり、夜間攻撃、夜間収容となることは必定であった。作戦海面の天候は、風速13~15メートル、うねりは大きく、雲量は5~7、母艦は最大15度のローリングをしていた。この天候は平時ならば、演習中止になるところである。 この状況で、十分な成果を期待し得る攻撃を行
2023/08/15 リンク