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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/eyan_fire (4)

  • 企画力とは「ネタ」力である - とんねるず主義+

    12月19日の「した」で、新(?)企画「通好み80年代ソコキタ紅白歌合戦」が放送されました。 わたしは非常に心配性な人間でして、前週の予告で紅白の学ランを着たとんねるずの映像がちらりと映ったとき「えっだいじょうぶかな」の危惧の念がまず頭をよぎりました。よくある「なつかし伝説再現」的なことを、ついにとんねるずもやってしまうの?と・・・ でも、いつものとおりその心配は杞憂に終わり、番組は、ものすご~くおもしろかった。 往年の80年代アイドルたちが歌合戦をするという企画自体は、よくあるもの。ちなみに出演アイドルは、 赤組:早見優、堀ちえみ、松伊代、伊藤つかさ 白組:風見しんご、竹孝之、渋谷哲平、とんねるず この企画の何がおもしろかったのか、わたしなりのおもしろポイントを箇条書きにしてみましょう。 おもしろポイント1:とんねるずの二十数年ぶりの「一気!」が、主役じゃなかったこと。 おもしろポイ

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    advblog 2013/12/22
  • とんねるず創世記(3) - とんねるず主義+

    前回までで見て来たように、石橋貴明と木梨憲武が初めてコンビを組んだのは、「所ジョージのドバドバ大爆弾」であった(*1)。 タカさんの言を借りれば、この出場は「車(ケンメリ)の頭金のため」。2人一組という出場規定があったため、ノリさんを誘ったと言う。 おそらく、この発言は事実と考えてよいだろう。この時点で、タカさんあるいはノリさんに、お笑いコンビを組もうという明確な意思があったとは、わたしは考えない。その理由については、後で述べよう。 ただ、「ドバドバ大爆弾」でふたりでネタを演じてみて、ふたりの中で何らかの発見といおうか、変化の萌芽は、あったかもしれない。「ふたり」であることの微妙な化学反応を、彼らは感じていたかもしれない。 それを確認する意味でも、いまわたしがもっとも知りたいことのひとつが、この「ドバドバ大爆弾」でふたりがやったネタの内容なのだが……。 さて、タカさんとノリさんが二度目に共

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    advblog 2009/05/06
  • とんねるず創世記(2) - とんねるず主義+

    「創世記(1)」で提起した問い---「タカさんとノリさんがコンビを組むに至った経緯とは?」について、今回は主にタカさんに支点をおいて推論してみたい。 小学三年生の時に出演した「アフタヌーンショー」に始まる、石橋貴明のアマチュア時代の戦歴は、まさにアマチュアの域を超えた輝かしいものであった。彼自身、「日おもしろいシロート」を自認していたという。 ところで、中2の時に暫定的に組んだコンビ「ザ・ツンパ」を除き、彼はずっとピン、すなわち一人芸で勝ち抜いて来た。高校三年生の夏、野球部を引退してからは、アルバイトのかたわら、溜まりにたまったマグマが噴出するかのように、素人参加の媒体に次々に挑戦していくのだが、その間も彼は、誰にも声をかけることなく、ピンで出場している。おそらく当時の彼の中には、お笑いにかけては自分の右に出る者はいない、という強い自負があったであろう。 一方この頃のノリさんはといえば

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    advblog 2009/05/06
  • とんねるず創世記(1) - とんねるず主義+

    「とんねるず」は、いかにして生まれたのか--- BT(Before Tunnels)探究の道はいまだ始まったばかりであるが、これまでにわかってきた事実と、それにもとづいた検証を、ここでまとめておきたいと思う。 最初にわたしがとんねるず創世の過程にふれたのは、コント批評での「猪木兄弟の結婚式」分析の中でであった。タカさんは小学生の頃からテレビの素人参加お笑い番組を荒らしていたが、それについては「猪木兄弟」の記事でまとめてあるのでご参照いただきたい。 その調査の中でわたしは「貴明&憲武」結成の過程に強く興味を引かれた。 「そんなことは『大志』を読めばわかるじゃないか」 ---確かに。 『大志』はとんねるず自伝の決定版である。その後の人たちの発言内容と照合してみるまでもなく、このに書かれていることは、ほぼ正確な事実であったと見てさしつかえない。 だがしかし、実はこの『大志』を読んだからこそ、

    とんねるず創世記(1) - とんねるず主義+
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    advblog 2009/05/06
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