日経ビジネスオンラインでは、各界のキーパーソンや人気連載陣に「シン・ゴジラ」を読み解いてもらうキャンペーン「「シン・ゴジラ」、私はこう読む」を展開しています。 ※この記事には映画「シン・ゴジラ」の内容に関する記述が含まれています。 1954(昭和29)年11月に封切られた『ゴジラ』は、同年3月、マーシャル諸島ビキニ環礁での水爆実験による放射性物質(死の灰)を浴びた「第五福竜丸事件」をモチーフに作られたことはよく知られているが、ゴジラはまた、当時まだ生々しい記憶が残る、太平洋戦争のメタファーでもあった。 オリジナルのゴジラのストーリーの中で直接それに触れるシーンは非常に少ないが、通勤電車の乗客が「また疎開か」と話題にする短いシーンがある。また、銀座を破壊するゴジラから逃げ遅れた子ども2人を母が抱き寄せて「これからお父ちゃんのところに行くのよ」と震えるシーン(もちろん、お父ちゃんは戦死したのだ
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