第2次世界大戦中の1942年、フィリピン北部バターン半島で旧日本軍の捕虜となった米比の兵士らが収容所までの長い距離を歩かされたとされる「死の行進」の一部を再現するイベントが11日、行進の終着地カパスであった。「平和を考える機会に」と初めて催された。 午前5時。地元住民や米比の兵士ら計約2千人が歩き出した。目指すは10・5キロ先の国立祈念堂。73年前の「行進」で終着地とされた捕虜収容所があった場所だ。ルート脇には1キロごとに「死の行進」の碑が立つ。参加者は、炎天だったという当時の過酷さに思いをはせながら約3時間で歩ききった。 主催者(国防省など)が配った文書には「42年4月9日、日本に捕らえられた米比の9万~10万人が88キロと13キロを歩かされ、7千~1万人が死亡した」とある。距離や人数、事実の一部は資料や見解によって異なるが、死の行進は広く語り継がれている。 だが、運営を担ったミナ・ガボ